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20090825: リアリティの未来

絵画が実現し得る「そこにある限りなく薄い空気感」と、写真がデフォルトで持っている「その先にある限りなく深い空気感」の間で、両者は互いに恋をし合っている。

だが見てみたいのはその恋の終わりなのだ。その先に、それが進化の終わりではなく、当たり前になった後にこそ進化が訪れるのだと思う。

裸眼3D動画と洞窟の壁画とフラッシュサーフェスなデジタルプリントとリアル立体の造形物がそれぞれに共鳴しあう未来は、そしてさらに、そこに触覚や臭覚が統合される、実は大昔からあったリアリティの未来は、再定義されることを待っているだけなのだ。さらにおそらくは、そんなものは時代の未来ではなく、個人の未来に過ぎないのだ。

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ごぶさたしてます。

日本での不景気がきっかけで今、上海に居ます。
日常で面白いと思うのが凝った造形で飾る部分があるかと思えば、ここがこんな仕上げで良いのか!?と言った感じでしょうか。
やたらと綺麗なビルの一室で仕事をしてるのですが壁の凸コーナーがまさにピン角だったりして、間違って身体が当たると痛いんですよ。
又、衛生的な部分も様々です。

昔は水彩画やコンテ画、詩、の様なものを書いたりしてましたが、古い作品の数々は今日に至るまでに個人的な恥ずかしさを感じたまま進化の可能性を絶たれてしてしまいました。
残った作品からは過去の自分の想いを楽しむ事は出来ますが、個人的な再定義に至ってるかどうか。その後どれが残ってゆくのかも解らないですけど・・・

造形物のキキリは今でも気に入ってるんですが近頃生活が大きく変化してしまって、可哀想な事にキキリの部屋に置き去りなんですよ。
手を加えたい箇所は沢山あるのに。
今の自分には永久に完成させられない気もしたりして。

パワー不足なのに想いを込めすぎて陥るトラップにかかった様です。
仕事なら依頼人の要求をクリア出来るし、作品は世の中を飾ってくれるんですけどねぇ・・・
でも、いつか進化させたいと思っています。

t-saitoさん、お久しぶりです。
過去の作品というのは厄介なものですよね。でもそれに関わったというだけで、一つの側面としては結果がどんなであれ完結しているんだと思っています。自分自身では他人が呆れるぐらいさっぱりしたもんです。

キキリはもちろん楽しみですが、実物を拝見させていただいてとても楽しむことが出来ましたし、完成するべきものならばまた機械がやってくると思いますよ。そのときにはぜひまた見せてください。

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