より良い絵を描きたいという欲望を、他人の評価基準が鈍らせる。
「これぐらいなら充分上手い絵だよね」とか「これ以上描いても意味無いよね、だって充分伝わるでしょ」とか、そんな気持ちが、描き手であるにもかかわらず、鑑賞者としての自分も同時に存在してるという、避けられない構造のかなかで正当化させられてしまうのだ。
しかし、それは他人ではなく、完全に自分の問題なのだ。自分の中に含まれている「自分社会」の問題なのだ。社会は個の中にこそ作られていて、おそらくはそこにしか存在しない幻想なのだ。そして、そんな個の連なりが、互いに牽制しあうテンションによって構築された構造物として集団が形成されているに過ぎないのだ。この構造に見られるような緊張関係が、今より少しでもほぐれるようなことがあれば、どれだけ人間のうちにしか存在しない「社会」が単純化されることだろう。


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