January 2010Archive

デジタルネットワークには二つの使い方がある。
一つは既存のインフラを利用して、自分が「得」するために利用する使い方。
もう一つは、インフラそのものの可能性を広げることを楽しむ使い方。

前者は「社会的」だ。
そこではさまざまな窮屈なルールが再生産され続けることだろう。
しかしそれを否定するつもりはない。
なぜなら、そこにはジャーナリズムや権力や大量生産技術が
個人レベルに下るために必要な可能性が眠っているからだ。
そしてその恩恵は計り知れないものになるだろう。

だがしかし、そのベクトルが、
あくまでも既存社会の規範の中でしか進まないことは間違いないように思える。

そして後者は「冒険的」だ。
冒険と挑戦無しには何も新しいことは起きない。
だが、それを支えているのは「社会的」に行動する人々だったりするのも事実なのだ。

ここに苛立ちはない。
かつては苛立っていた自分が居たのに
今は苛立っていない。

要らないものと距離をおくことができ
必要なものに近づくことが出来ればいいのだ。
そうした時には、どちらの側に近づこうともどうでもいいことになるのだ。

デジタルネットワークという技術は
それをとてもわかりやすい形で、
それぞれの人に示してくれる、とても面白いゲームなんだと思う

進化は何度でも繰り返す。それは寄せては返す波のようなものなんだ。
でも最初の波と次の波は決定的に違う。
おそらくは波もスパイラルを描いているのだ。
最初の波のもたらした結果の上に次の波は重なる。
ストロークは繰り返されているのだけど、
最初のストロークと次のストロークは同じストロークではない。
その事実を感じると楽しくてしょうがない。
バラ色の魔法に包まれてしまう。
自分が常に次のストロークで生きていられることは
これ以上ないぐらいに幸せなことなのだ。

予感に導かれて、構造の力学に従ってみる。
そこで、新しい形に出会う。

でもその新しい形は、予感というプールの内側で形成される。
それはしょうがないことだ。
だって、予感から始めたんだから。

そしてその予感は
新しいかもしれないけど
いや、新しいんだけど、
陳腐なのだ。

予感のプールが小さいからだ。
こういう状態に対して「井の中の蛙」というのは、たぶんとても正しい。
25mプールじゃなくて、2500mプールとか、2500000mプールとかに
出会いたいのだ。

予感は快感だ。
小さくとも、大きくとも
それは快感だ。

そして快感は良いものだ。

だが、その快感の、先の快感に行かなければ、
治療的な快感の先に行かなければ、
見えてこないものがあるんだと思っている。

科学の蓄積とか
文明の連なりとか
知識の体積とか

そういうものが人を小さなプール中に押し込める。

しかし、もちろん、誰もが他人の経験の上に自分を組み立ててはいる。
それは責められるような事じゃない。
それを責めちゃいけない。

そんな風にじゃなく
大きなプールの中にいたはずなのだ。
元から。

技術は何度でも発見することが出来る。
それは正しい。

伝えるべきは遺産ではない。
墓ではない。

予感 プロセス 実現 拡散
吸入 圧縮 爆発 排出

そのサイクルを何度でも繰り返すことが出来ることを証明し続けることなんだ。

まだやるの?
じゃなく、ずっとやるのだ。

2010_nenga.jpg
明けましておめでとうございます。トラでっす!
プリントまだだし、届けられる人に届くのは、もうちっと先、つうルーズなスタンスはいつもと変わらず。今年もよろしくお願い致します。

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