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20100316: 手前にあるもの

自転車に乗る人は自転車を見るだけでも楽しみを感じるだろう。
その楽しみは、自分が自転車に乗っていることを想像できるからであり、そしてさらに見惚れるような人は、その自転車を構成している部品が、自分にとってどんな体験をもたらしてくれるかを想像して、見ることをさらに充実させるだろう。

同じことが絵画や映画にも言える。
いつもの散歩道を描いた一枚の絵は、いつも散歩をしている経験が共有出来る人にとっては楽しめる絵になるだろう。毎日を初めて生きるように過ごした経験がある人にとっては、毎日を初めて過ごすことを表現した映画は楽しめるものになるだろう。

そのように表現は過去に属するが、しかし本当の表現は、見ることの、聞くことの、感じることの、味わうことの、

手前にあるのだ。

大事なことは常に手前にあるのだ。

ではその手前は表現に見えないかって?
とんでもない。
誰もがその手前を見て勇気を貰い喜びを感じているはずだ。
それが表現じゃないなんて、ほんとにとんでもない。

美しさとは実践されることだ。
そしてそのような美しさは捉えられることを拒否する。
既に実践されたことの解釈なんてどうでもいい。
その捉えられない一瞬を誰もが求めているに過ぎない。
なのにその薄皮一枚の、
薄皮さえもないような、しかし厳然たる壁を超えたくて(それはおそらく認識と言う壁だ。
今日も歩き、手を動かし、食べ物を口に運び、まぐわい、言葉を浪費する。

しかしそれでも欲しいものは既に実現している。
未来を延期するのは人類の特権だ。
あるいは人類の病気だ。

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