←マシンガンと掃除機と水門

20100706:

あらゆる日常的関係性から自由になるためのテクノロジーは既に存在している。ただしそのようなテクノロジーはそれを利用する個人に対して一定のリスク(おそらく現状の社会的常識に照らし合わせれば受け入れがたいような)を要求する。だからと言って、さらに、そのリスクをも回避できるテクノロジーがあれば最高じゃん、と思ってはいけない。そんなものは幻想だ。身体的な資本主義においては、それが回避できることはあり得ないのだ。なぜならそのリスクと自由は切り離すことが出来ない、同じものの一側面に過ぎないからだ。

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