あらゆるテクノロジー、あらゆるデザイン、あらゆる人工物は、内側から考えるべきなのだ。
内側だけに明確な欲求がある。
そのような欲求の欠如した人工物は暴走しか生まない。
明確な欲求は身体から導き出される。
何をしたいのか?
どのような体験をしたいのか?
どのように寝たいのか?
どのように料理を作りたいのか?
どのように乗りたいのか?
どのように踊りたいのか?
どのように歌いたいのか?
どのように感じたいのか?
どのように食べたいのか?
どのように仕事をしたいのか?
どのように生きたいのか?
どのように死にたいのか?
そしてそれが明確なら道は必ず見えてくる。
どうすれば気持ちいいのか?
どうすれば楽なのか?
どうすれば美味しいのか?
どうすれば迷わされずにすむのか?
どうすれば風通しがいいのか?
どうすれば暖かいのか?
どうすれば実現できるのか?
重要なのはその欲求をどれだけ正確に知ることが出来るのかなのだ。
それは決して他人から教えてもらうことは出来ない。
自分で明確にするしかない。
それ以外の方法では
決して自分の身体が求めるものにも、方法にも辿り着くことが出来ない。
だからそれをこれまで以上に知ろうと思う。
願いや欲望は他人のものであることがあまりにも多い。
誰もが自分のものであると思っているそれらのもの達は、呆れるほど他人のものばかりなのだ。
つまり、誰もがその人生のほとんどを存在しない他人の欲望を生きるために費やしているのだ。
それらのあまりにも雑多であまりにも膨大な瓦礫を片付ける必要があるのだ。
今の社会では、たとえば自動車を所有しても、人はただの運転手であるに過ぎない。
運転手は運転は出来るが自動車のほとんどを理解していない。
そしてさらに悲しいことには、運転するという行為でさえ自分のためになっていない。
それが他人の欲望を生きるということだ。
家だろうと家電だろうと原発だろうと同じことだ。


Comments
ご無沙汰ー 相変わら
どうも、ご無沙汰して
Thank you.
que beau v
江戸時代の街道とかを
上に挙げられたコンテ
上手いこと言うなぁ。
ギクリ それはかなり
そうですね、農家の人
そうか、仙台に戻った