今回の震災で、強制的にリセットを余儀なくされたたくさんの人々が生まれた。一方で、その一万倍以上の人はリセットを免れて幸運だったと思ったかもしれない。そして同時に、幸運だったかもしれないが、自分から敢えてリセットするべきなんじゃないだろうかと思った人もかなりの割合でいたはずだと思う。
そこで、敢えてリセットするべきかもしれないと思った人々はリセットするべきだと思うのだ。たとえ周りがリセットを避けるように流されていくとしても。
これっぽっちの余裕のない中でリセットせざるを得ない人達に比べれば考える余裕も身体能力の余裕もある人々がリセットを試みることはどれだけのアドバンテージがあることか。
体制に対しては、批判されるべきことや、正されるべきことはいくらでもあるだろう。それを追及する人は追求すればいい。それもまた必要なことではあるだろう。事実、数値や単位の基準が危険性に応じて意図的に使い分けられたり、言葉のレトリックによって危険性がうやむやにされてたりということは今の日本のメディアでは日常化してしまっているように見える。だがそれはそれだ。少なくとも身の安全を判断するための情報はネットを利用できる環境にある人ならば誰でも得ることが出来るのは確かだ。その可能性さえ得られない状況が被災地にはあることはやるせないが、それを得られる環境が維持されているならば、今、自分にとって何が必要なのかを判断できる材料は、求めさえすれば揃っている。
東京は被災地ではない、という一つの見方がある。
それは限定された意味では正しい。
そのように言う人達は、そこから避難する人は愚かだと言う。
自分でも今の現状で、東京のすぐ隣に住んでいるこの場所から避難することには50も過ぎたオヤジとしては積極的な理由は見出せない(放射線に対する感受性が鈍いという意味で)。ヨウ素131入りの水もを飲むし、セシウムの付着した野菜だって食べる。しかし、子供を育てたり、これから子供を生んだり、今妊娠していたりしている人には、出来る限りの大事をとって欲しいとも切に願う。そしてそうじゃない人には測定できないレベルの確率的な意味でしか論じられない現象しか起きていない。
つまり耳にたこが出来るぐらい聞かされた「直ちに影響はない」ということだ。
(ちなみに、「直ちに」の意味は「一瞬」もしくは、長くて「一日」なのだとか。だからその発言をしている人間はその意味の範囲において発言しているのだ)
しかし一方で、全世界が被災地であるという見方も出来る。
これはそのような言い方をするならば、紛れもない真実だ。
ここで言う真実とは物理的な真実なのだ。
原発はただの湯沸かし器だ。
放射性物質を使ってお湯を沸かしているだけの施設だ。
そのようにしてお湯を沸かした時の効率だけを見てそれらは建設された。
そして今でも、より効率よくお湯を沸かすために、核分裂の制御技術が開発され続けている。
でもその効率は、一箇所における(そして廃棄や処分といった未来を無視した)効率なのだ。
別に一箇所に集約しないでも良いんじゃないかと思う。
そうした時に見えてくる効率を、たとえば東京電力は損益になるがゆえに否定するだろう。
急激な変化は求めなくていい。
急激な変化は過剰な抑止力を生んでしまうし、それは結果的に未来の遅延を生む。
リセットはゲリラ的に実行された場合にこそもっとも有効に働くのだ。
なぜなら、それこそが日常の営みに根ざしているからだ。
リセットの意味は何を自分が大事にしたいかに向き合うということだ。
今目の前にいる大事な人、今目の前に咲いている青くて小さな花、今吹いている風、今喉を通っていく水、それらと自分が関わる時、どのようなコミュニケーションが生まれるかに、想像力を持って向き合うことだ。
人工的にもたらされた放射線はこれから何年にもわたって(正確に言うならば何万年にもわたって、そしてすでに撒き散らされたものに加えて)放射され続ける。これは紛れもない事実だ。誰一人避けることが出来ない事実だ。この物理的で正確な現象はどんな手段をもってしても閉じ込めることは出来ない。それはそれで受け入れるしかないのだ。
その意味をリセットを掛けるのにこんなチャンスはないだろうと思うことは、とっても不謹慎でとっても魅力的だ。
Comments
ここ数日の日記、全く
ご無沙汰ー 相変わら
どうも、ご無沙汰して
Thank you.
que beau v
江戸時代の街道とかを
上に挙げられたコンテ
上手いこと言うなぁ。
ギクリ それはかなり
そうですね、農家の人