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20110406: 日記:110406 春

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どんなことが起きていようとも、暖かい日差しと、それを受けてむくむくと圧倒的に生まれ出る緑と、ささやかに、そして盛大にはじける花と、その甘さに誘われて飛び回る蝶たちの間を歩いていると、他に何もいらないと思えるほど幸せな気分になる。

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こんばんは。
7日夜の地震は大丈夫だったでしょうか?

私は関西エリアを転々とした後、少年自然の家に落ち着き、米作りが始まるため今日仙台に戻ってきました。
滞在していた自然の家なんですが、三重県の熊野にある山の上に建っている、とても良いところでした。(一泊800円くらい)
身体感覚は、聞こえる音や見える空気、肺から取り込まれる物質等、環境によってごく単純に影響されるのだという、普段慣らされてしまっている当たり前の事を実感させられる場所でした。

そうか、仙台に戻ったんだね。仕事見つかったのか心配してました。7日はぜんぜん大丈夫でしたよ。飛び起きたけどw

熊野の山の上、とても良さそうです。行ったことないけど、とても古い土地ですよね。身体感覚は現代社会ではほんとにすぐ鈍るものだと自分でも思います。最近は歳をとったおかげで敏感にならざるを得ない部分もあって、多少は救われています。若いときには自分の「精神」だと思っていた「何か」ばっかり見ていてアホだったなぁと呆れるばかりです。

ギクリ
それはかなりありますね。
未知だと思っていた、その時点で見定めることが出来た世界を囲い込んで、内側へと侵食していき、外側の事はその島から観察する。観察した情報は手元にあるよく使い慣れたメモに書き留めて=所有する。となりに書いてある文字とうまくレイアウトが兼ね合うように、細心の注意を払いながら。
内側へ進むことと精神的なことは関係があると思います。

ただこれだと、ある所からは完全に行けなくなってしまいますが。

上手いこと言うなぁ。自分の昔のことを考えると、そこまでの客観的な賢さは微塵もなかったと思う。なんかもっと身近な事象だけをひたすら積み上げて行って、ブレまくって疲れきったころに、「こんなことなんかなぁ」って強制的に納得する、そんな方法しかとってこなかったような気がする。それと精神に関しては、恐怖とか嫉妬のように、死や恋愛などの日常(あえて非日常とは言わず)に寄り添った形でしか存在できないものだろうという気がする。観察とか精査とか思考とかってのは、やっぱり一時的な待避所であり、猶予期間の中でのシミュレーションなんだと思うな。

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