January 2012Archive

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メンテナンスをするってことは面倒なことだ
しなければならないメンテナンスのほとんどは
興味の向いていないものだからだ

しかしほとんどの現実は興味の向いてない方角からやってくる
それはどういうことかといえば
メンテナンスをしていなかったら死んでしまうかもしれないということだ

消費生活とメンテナンスほど相反するものは無いだろう
消費生活はメンテナンスを否定する
それが消費の本質だ

掃除なんかするな
修理なんかするな
油なんか差すな
手入れなんかするな
撫でるな
愛するな
放っておけ

そう消費は要求する
そしてそれは楽なのだ
自分自身が疎外されているにもかかわらず
というより
自分自身が疎外されているからこそ楽なのだ

人は消費という悪魔と
メンテナンスという地獄の間で揺れている
豊かであるということは
なんて難しいのだろう

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遅ればせながらの干支カードです。昨日も書きましたが、今年は通常葉書で出します。発送も1月半ば過ぎの予定です。年賀状を頂いた方はしばらくお待ちくださいね。

大変な年が過ぎて、そしてたぶん、大変な年が明けた。
それは震災のせいだけじゃなく、いろんな意味で大変な年なのだろうと思っている。簡単に言ってしまえば、日本の話だけではないということだ。大変なのは。まあ、そんな言い方をしてしまうと、これまでもずっとそうだったんじゃないの?というツッコミがどっからか聞こえてきそうではあるけれど、それでも、かなり大きな曲がり角が、すぐそこまで来ているというのは確かなように思える。

でも個人が出来ることなんてたかが知れている。それはそうだ。しかし、たかがしれている個人が出来ることをしないと、どれほどアホな結果が導き出されるのかというのは、去年、嫌になるぐらい眼にした。つまり、「たかが知れている個人の出来ること」というのは、常に過小評価されているか過大評価されているかのどちらかだということだ。それは適正ではない。そのように言う人は、だれも適正な個人ではない。もっと言ってしまえば、誰も自分をその個人だとは思っていないということだ。

たかが知れている個人も、すべきことをしない個人も、それは誰でもない個人だ。それは私ではないし、あなたでもない。存在しない誰かだ。適正な個人は自分のすべきこと、出来ることを、たかが知れているかどうかなどと判断することはない。その適正さは、そのような判断の外側にある。そのようにしてしか適正であることは出来ない。適正であることは予測できないし計画できないし保障されない。そこは孤独であり勇気の必要な場所だ。

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※ついでにお知らせ
今年の年賀状は訳あって、年賀ではない形で出しますので、しばらくお待ちを。1月の半ばぐらいに発送予定です。いつもの架空動物シリーズです。絵はほとんど出来ているので、こちらは完成しだいアップします。

それとあまりに今更で恐縮ですが…
1:ヴァニラ画廊の2012カレンダーにサクバの絵も入っています。もうみんな用意済みですよね。すみません。

2:「少女自転車解放区」というワニマガジンから発行されたMOOK本にサクバの自転車が6Pに渡って紹介されています。Timrickの紹介記事はこちら
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なにはともあれ、今年もよろしくお願いします。

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