August 2014Archive

これまでずっと、ユーティリティがテクノロジーを堕落させるのだと考えていた。なぜその様に思ったのかとの思いを含めれば、今でもその考えが間違っているとは思っていない。しかしそこには、ユーティリティの定義に対するあいまいさが含まれていて、それ故に、他人には理解しがたい概念が、翻訳されることなく放置されていることに気がついた。

そこで放置されていると思われたユーティリティの概念とは、思考し、日々を生きている、迷いを含んだ主体の、時間的に変化し推移する個にとってのユーティリティなのだ。そのような存在にとってのユーティリティは、便利という社会的な実用性以上の、おそらくは現代において、定義があまりに不明確な場所で、要求を再定義せざるを得ないような力がその単語に備わることになる。こうしてユーティリティを定義してみると、そこにはユーティリティーという単語に対して、嫌悪をもよおしていた要素が全て排除されていることに気づく。その様な状態では、ユーティリティーというものが、可変的な個の要求によって、再定義され続けるようになるからだ。

要求は常に、個において変化し続ける。その変化し続けつつも、瞬間的には明確であるような要求に対して、いかに正確に答えることができるのかがテクノロジーの本質なんだと思う。

しかし、そこに焦点を合わせた社会が形成されるためには、あまりにも多くの要求と価値観が無視されたままだ。

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