January 2015Archive

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敵を作るのは簡単なことだ。
人を憎むのも簡単なことだ。
他人を怒るのも簡単なことだ。
間違いを指摘するのは簡単なことだ。
人を操作するのは簡単なことだ。
人を閉じ込めるのも簡単なことだ。
人に騙されるのも簡単なことだ。
人を傷つけるのも簡単なことだ。
自分を傷つけるのも簡単なことだ。

簡単にやることは楽なのだ。
気持ちがいいのだ。
快感なのだ。

自分に喋れることがあるということが、
喋ったことに対して反応があるということが、
それがマジョリティであると感じられるということが、

快楽なのだ。

しかし、その快楽がいかになくてはならないものであったとしても
その快楽は、それを享受する人を、自分自身から遠ざけるだろう。
それでも人はその快楽を享受することを止めることはできない。
なぜなら、その快楽には裏打ちがあるからだ。
決して自分のためではなく、
誰かの為とか
正義とか
正確さとか
愛だとか
理解とか
賢さとか
自分と不可分なほどに刻み込まれた呪いの連鎖とか

だという強力な刻印から逃れられないからだ。

情報が隠されていたから愚かになるのではない。
生かされたいから愚かになるのだ。

隠された真実よりも前に、
自分において自分が隠している真実に向き合うことができなければ
どんな情報も意味を成さない。

そこではつまり、どんなビジョンも個において生成されることがないということだ。
ビジョンを持たない個は、ある意味、生きることを禁止されている。
生きることを禁止されている個は、群れを作る。
群れによって個を代替されることを望む。
それが排除の原理がもっとも強力になる時だ。
そしてそのような群れに入るのはとても敷居が低く、簡単なのだ。

簡単であるということが、どれほど魅力的であれ、
簡単であるということが、自己の暫定的な単純化を前提にしている以上は、
簡単になりたくない。
どれだけの熱狂と快楽がそこにあろうとも、そんな場所には近づきたくない。

しかしそのためには、誰もが自分から導き出したビジョンを持つ必要があるのだ。
それを諦めてはいけないのだ。

ビジョンは比較からは得られない。
ビジョンは迎合からは得られない。
ビジョンは理解からは得られない。
ビジョンは倫理からは得られない。
ビジョンは社会からは得られない。
ビジョンは学習からは得られない。
ビジョンは論争からは得られない。
ビジョンは他人からは得られない。

なぜなら、ここで言わんとしているビジョンというものは、
誰もがすでに持っているものだからだ。
孤独のうちに。

孤独は簡単ではない。
しかし、それは悪いものでは決して無い。
むしろ死ぬまで付き合うべき、もっとも大切なものだ。
世界は簡単ではないからこそ美しいのだ。

2015_nenga-2.jpg今年もよろしくお願いします。例によってとても遅いNewYearCardです。
さすがに干支シリーズはもう止めることにしました。たかが年賀状なのに、毎年悩みまくって描いていたんですけど、お題に答えないといけないというのが辛くて辛くて、それでも12年やり通した訳ですから、これで開放されましょうってことにすることにしました。とか言いながら、実は途中まではやってしまった結果が下の絵です。ほとんどの人には上の絵が届くと思いますが勘弁してください。


2015_nenga--text.jpgで、今年の絵は、去年描いていた進行中の作品のスケッチです。去年は他に3つぐらいのプロジェクトに関わっていたんですけど、どれもあんまり外に出せないようなものばかりで、ブログの更新もしなければ、はたから見たら何やってるんだかわからないような状態になっていました。今年はもうちょっと結果を見せられる年になるといいなと思っています。

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