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20170610: システムと自由

DSC01999.gifシステムに囚われている時、俺は不自由だが、不自由な俺には目的がある。その目的とは、他人から頼まれた仕事をそつなくこなすことであったり、その評価であったり、給与の額であったり、オークションの落札価格であったり、レアアイテムの入手であったり、他人より速く移動することであったり、より少ないエネルギーで結果を出すことであったり、円滑なコミュニケーションを前提とした日々の安定であったりする。

システムとは人に目的を与えるものだ。目的を与えられた人はシステムの奴隷となる。そのようにして人は奴隷であることを欲するのだ。これはおそらく生存本能の一側面であり、そのようなベクトルが消え去ることはないのだろうと思う。優れたシステムとはより多くの人々を奴隷化し、主人と奴隷のわけ隔てなく、すべての人がメタレベルにおいて奴隷となることができるようなシステムのことを言うのだろう。

では、自由とは何か。自由とはシステムの内側においてシステムの外側を志向すること、その態度そのものであるように思える。つまり自由もまたシステムから生まれた目的の一形態なのだ。それは皮肉な見方をするならば、システムが健全に奴隷制度を維持するための必要な運動であるように思える。硬直した奴隷制度は永続性を獲得できないからだ。奴隷制度が恒久的に機能するためには、奴隷制度の更新が必要であり、そのためにはシステムを否定する自由が必須となる。

しかし生命には、あらかじめ約束されている絶対的な自由もある。もちろんそれは死だ。それはあきらかに、このうようなシステムの外側にある。むしろシステムを作り出した原動力であるといってもいいのかもしれない。その場所から俯瞰するならば、あらゆる目的を生み出し、あらゆる人々を奴隷化するシステムは、完全なる自由の内側で生成していることになる。それは素晴らしい救いだ。草原を渡る風の気持ち良さに嘘はないのだ。

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いつもブログ楽しみに拝見させて頂いております。

作場さんの文章は、自分の言葉で丁寧に編まれていて、読んでいると新しい視点に出会う事ができます。とてもわくわくしますし、そのウソのない構造、ニュートラルな視点の置き方に安心します。

突然、すみません。長らく思っていいたのですが、作場さんがどうして自分の言葉で丁寧に世界を把握されるようになったのか、とてもその動機の部分を知りたいです。
そう考えはじめる出来事がご自身にあったり、切欠があったのでしょうか?
また、それはいつからなのでしょうか?

不躾な質問、いきなりもうしわけございません。
もしよろしければ、お教えいただけますと、とてもうれしいです。

matsuさん、はじめまして。
ご質問についてですが、明確に答えるのは難しいですね。おそらく子供のころから考えること自体はそれなりに好きで、なおかつひねくれものだったので、借り物ではなしに、人とは違う答えを発見することに喜びを見出すようなところはあったと思います。よく調子に乗って間違った結論を導き出していましたね。

でもそれを言葉にすることを意識するようになったのは、本を書いたりゲームのシナリオを書いた経験があったからです。とは言え、物書きの人たちに比べたら屁みたいな分量だと思いますが。

そしていまだに続けている理由ですが、まあ「知りたい」もしくは「受け入れたい」んですね。もっと言ってしまえば、最後にすっきりして終わりにしたいという気持ちがあって、そのすっきりできる場所のことをいつも考えています。そこは全部をわかっている場所とかではなくて、むしろ全部消えている場所に近い。その場所では自分は完全に一人なので、嘘だけはつかないようにしないといけないと、そんなところでしょうか。

作場さん、お返事ありがとうございました。

作場さんの考え方は科学者であり、瞑想しているお坊さんの様であり、とても面白いですね。

これからも拝見させていただきます。
どうかお体に気をつけてお過ごしくださいませ。

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