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unnamed.jpgこの1年ほど関わっていたアプリが公開されました。
HENGE(変化:へんげ)。流行りの顔認識アプリの怖いバージョンみたいなものです。生成される画像は、目や口などのパーツごとに組み合わされるため、相当な種類のバリエーションが生成されますので、変顔自撮りのお供に、クリーチャーデザインのお供に、変身願望の実現に、ぜひ遊んでやってください。
《IOS版》

《Android版》


henge_636302239947129450.jpghenge_636305514816212860.jpghenge_636301279705439770.jpghenge_636301275423867240.jpg上のカバー画像の高解像度版


henge_cover.jpg

170807-02.jpg久々の自転車ネタです。
半年ほど前にカメラが壊れてカメラを買い換えたのですが、初めてのレンズ交換式カメラで写真を撮るのにはまってしまい、自転車に乗って写真を撮りに行ったりしていました。ところが自転車に乗っていくと、あまりにも乗り降りが激しくて、トゥクリップに足を突っ込むのが面倒だったり、スタンドが欲しくなったりで、どうしても自転車をいじりたくなってしまったのです。というわけで散策自転車を徹底させるべく、ポジションから大幅見直しとなったのでした。

まずはスタンドを装着してペダルは三ヶ嶋のSILVAN STREAMに。スタンドはフレームチューブを押しつぶすようなクランプは使用せず、接触面が大きくて軽量なクランプを削りだしています。ペダルはこれまでにもMTB用のフラットペダルやアルミ押し出し材を使った軽量ペダルを試したことはあったのですが、主に足の踏み位置が決まりにくいという理由で使うのがいやになってしまったのでした。やはりペダルシャフトと踏み面の位置にある程度の落差のあるペダルが使いやすい。


170807-01.jpg次にハンドル周り。前のアップハンドルも決して悪くはなかったのですが、120mmのステムを使ってもまだハンドルが近すぎたり、アップライトポジションの限界が低かったりで、びしっとポジションが出ていたとは言い難かった。なので思い切ってフォークをカーボンからスチールに戻してスレッドステムを導入することに。すごい重量化ですが、まあ輪行をやらなければ許容範囲です。この状態でも8Kg後半ってところです。使っているステムはルイステムとかいう商品名でとっても安くて重いやつです。そしてハンドル。NITTOのノースロードバーですが、現行品ではないやつで、幅が少し狭くて260gとそこそこ軽いものです。これにTEKTROのFL750というブレーキレバーを組み合わせています。


170807-05.jpgここまで決まったところで試乗を繰り返してポジション出し。500kmぐらい走ったでしょうか。いろいろ試しましたが、サドルは8mmバック、3mm下げ、ちょい前上がり、ハンドルは現状の高さが前後2:8ぐらいの荷重分布です。ここからさらに2~3センチほどハンドルを上げると完全にハンドルから荷重が抜けるところまで行きますが、これはかえって腰に良くないことがわかったので、ちょっと前に加重を残すぐらいが一番楽でした。しかし、前回のほぼ水平ポジションと比べて、あまりの違いに驚くやら面白いやら。

決して良いことばかりではなく、マイナス面もあります。まず使用しているフレームに対して明らかにテールヘビーです。最初に驚いたのはあまりにも後輪の接地面の情報がダイレクトに来るのでホイールが歪んだのかと思ったぐらい。次にこれまで痛くもなんともなかったサドルが急に乗り心地の悪いサドルに変化してしまった。前者はもう慣れましたが、サドルはアルミ製なので強引に曲げ直しました。フレーム変えろという意見はごもっともですが、まあやってみたかったんです。だいたいこのポジションにちょうどいい軽いフレームなんてまず手に入らないですから。

で、良い面。これは楽ちんの一言に尽きます。長距離も何の問題もなく、疲労は明らかに少ない。ただしドロップハンドルなどのポジションに比べるとアベレージは落ちます。これは上げられないという意味ではなくて、そのように走ったほうが気持ちがいいので結果的にアベレージが下がるということです。でも写真を撮ったり路地に入ったり寄り道をしたりするにはかえって好都合です。見たいものが良く見える、立ち止まりたいときに躊躇なく立ち止まれる、という性能が欲しかったわけですから。

でもサドルは、ここまで荷重が掛かるようになると革サドルにしたくなる。しかしこのポジションが出せる市販サドルはありません。なので欲しければ作るしかない。実は革サドルはすでにオリジナルのを作っていたりします。


150128.JPGこれは3年ほど前に作ったTimrck用の自転車です。ワンオフのキャリアにチェーンガードにフロントフェンダーにライトステーに革サドル。友人からはデコチャリとか言われていますが、いやいや、そんなことないっしょ。かっこいいよ、と自分では思っています。そうそう自転車はやっぱりカッコ良くないと、ってことで今回一番苦労したのがヘッドライトです。


170807-06.jpg170807-04.jpgやっぱりアップハンドルの何が抵抗があるかというと、かっこ悪いという思い込みが抜けないところなわけで、これをどうにかするには、それなりにボリュームがあってイカしたヘッドライトを正しい位置に装着するしかあるまい、となって、探し出しました。5万円もするようなビンテージライトじゃなくて、中国製のバイク用テールライトです。このクソ重くてリフレクターも何にもついていないアルミの塊を削りまくり、LEDユニットと電池を仕込んで、仕上げにアルミのファスナーを自作しました。これを自作のライトステー兼フロントキャリアに取り付けて、とりあえずは悦に入って眺められる姿に、なったかなー

DSC01999.gifシステムに囚われている時、俺は不自由だが、不自由な俺には目的がある。その目的とは、他人から頼まれた仕事をそつなくこなすことであったり、その評価であったり、給与の額であったり、オークションの落札価格であったり、レアアイテムの入手であったり、他人より速く移動することであったり、より少ないエネルギーで結果を出すことであったり、円滑なコミュニケーションを前提とした日々の安定であったりする。

システムとは人に目的を与えるものだ。目的を与えられた人はシステムの奴隷となる。そのようにして人は奴隷であることを欲するのだ。これはおそらく生存本能の一側面であり、そのようなベクトルが消え去ることはないのだろうと思う。優れたシステムとはより多くの人々を奴隷化し、主人と奴隷のわけ隔てなく、すべての人がメタレベルにおいて奴隷となることができるようなシステムのことを言うのだろう。

では、自由とは何か。自由とはシステムの内側においてシステムの外側を志向すること、その態度そのものであるように思える。つまり自由もまたシステムから生まれた目的の一形態なのだ。それは皮肉な見方をするならば、システムが健全に奴隷制度を維持するための必要な運動であるように思える。硬直した奴隷制度は永続性を獲得できないからだ。奴隷制度が恒久的に機能するためには、奴隷制度の更新が必要であり、そのためにはシステムを否定する自由が必須となる。

しかし生命には、あらかじめ約束されている絶対的な自由もある。もちろんそれは死だ。それはあきらかに、このうようなシステムの外側にある。むしろシステムを作り出した原動力であるといってもいいのかもしれない。その場所から俯瞰するならば、あらゆる目的を生み出し、あらゆる人々を奴隷化するシステムは、完全なる自由の内側で生成していることになる。それは素晴らしい救いだ。草原を渡る風の気持ち良さに嘘はないのだ。

2017nenga.jpg明けましておめでとうございます。観光地シリーズ第二段です。続けるのか、俺。

なんか年賀状ブログのようになってますが、テキストはTwitterでグダグダと書いていました。サクバの書いたとりとめないテキストでもいいから読みたいという奇特な方はどうぞ。とは言え、何にもしていなかったわけではなく、裏でこそこそ働いています。今年はいくつか告知できることもあるはずです。お楽しみに。

それでは今年もよろしくお願いします。

想像力とは目の前にすでにあるものにどれだけ寄り添えるかの力だ。
想いを形にすることなどではない。目の前の像に想いを馳せる力だ。
そこに必要なのは、自己へのこだわりでは無く、自己の無化なのだ。

2016_nenga1000.jpg今年もよろしくお願いします。画像はちょっとカブいてみました。観光地シリーズ、やるのか。いやまあ気が向いたら。

去年は、出だしは”機械的な少女”まっしぐらで良かったのですが、そのあとはやたら戦争の事が気になって数ヶ月に渡ってあれこれ調べたり、当ても無く長文を書いたり、次には友人のゲームをやりまくったりして、なかなか自分の作品のほうに進めませんでした。今年はぜひとも作品メインでいきたいところです。

Ninelives-2015-12-03-14-15-48-00.jpg以前に紹介した開発名"Project Kyrill"というSmokymonkeysのゲームが"NineLives"という正式名称となって来年の1月からオープンテストが開始される(公式サイトはここ)。これまでの開発期間はなんと6年である。しかしまだテスト段階ではあるし、公開されるエリアも予定されている全9エリアの内の2エリアに過ぎない。しかしその2エリアでも、このゲームがどんなゲームかを感じさせ、また楽しむことができる、十分なボリュームを持っている。まあすでにクローズドアルファテストも行われているわけではあるけれど、この機会にちょっとレビューをしてみたいと思う。「どうせ身内のレビューでしょ」などと思わずに読んでみてくれると有難い。


worldmap2048_150516.jpgNinelivesはどんなゲームか?これを出来る限り短く説明しようと思うならば「自由な冒険が出来るRPG」これに尽きると思う。は?と思うかもしれない。そんなのどんなゲームでも当たり前じゃん、と。しかし果たしてそうだろうか?冒険とは何か?それが自由であるとはどういうことか?を考えてみて欲しい。今のゲームに経験としての"冒険”をプレイヤーに感じさせることが出来るゲームがどれだけあるのか、プレイヤーに"自由"を与えてくれるゲームがどれだけあるのか。とは言え、俺自身がそれほど最近のゲームをプレイしているわけではない。しかしその状況は容易に想像がつく、なぜならゲームをプレイしなくなった理由の一つは、ゲームから冒険と自由がなくなりつつあった時期だったからだ。


Ninelives_BIN_2015120316285066.jpgミニマップしか見ないゲームプレイ、ダメージ表記と派手なエフェクトだけのゲームプレイ、ナビゲーションに従うだけのゲームプレイ、決められたようにしか成長しないキャラクター、決まったものしか出てこない宝箱、一本道のマップ。RPGがなぜこのように進化してしまったのかは容易に想像がつく。それはつまり、可能な限りプレイヤーの手間を省き、最短距離で快感に導き、薄っぺらい承認要求を最速で満たすための進化だったわけだ。そしてそこには需要が存在していたわけだ。つまり誰もが、それが小学生であれサラリーマンであれ、とにかく忙しい人になり、そんな忙しい人々であっても、ゲームが与えてくれる過程を無視した末端の果実だけを、まるでゲーム全体がチュートリアルであるかのようにすることで、つまり従属をメインとしたプレイをさせることによって可能にしようとした結果なのだ。そんなゲームのどこに自由な冒険の入る余地があるだろうか?それはもはや冒険のふりをした牢獄のようなものだ。


Ninelives_BIN_2015120315475888.jpgしかしそんな牢獄にも需要は確かにあるわけだ。それは否定しようも無い。そこにはマーケットがあり、利益が上がっているわけだから。ただ、ゲームってそんなものだったんだろうか?と思っている人だって居るはずなのだ。なにかもっとわくわくしたり、悩んだり、嬉しかったりしなかったっけか?そう思っている人は少なからず居るはずなのだ。Ninelivesはそこに応える為にあるようなゲームだ。それを時代に逆行していると見る人も居るかもしれないが、俺はそんなことは無いと思っている。なぜなら、かつてそれを感じさせてくれた古いゲーム達は、おそらくゲームをプレイする時の過程の重要性に対して、今よりもずっと無垢で無自覚だったと思えるからだ。黎明期のビデオゲームが、ことさらに意図することなく"自由な冒険"を実現していたのは、その半分は未熟さゆえの無意識であり、その半分はアナログゲームから受け継いだ伝統であったのだと思う。しかしそこにテクノロジーの進歩が加わるごとに、出来ることの自由が加わるごとに、失われていったものが"自由な冒険"なのだ。そしてこのNinelivesというゲームは、その"自由な冒険"を、現在のテクノロジーを使って、きわめて意識的に再構築しようとしている。それこそがこのゲームの最も革新的な部分なのであると俺は思っている。


Ninelives_BIN_2015120314205360.jpgだがこれを言葉で言うのは簡単だけど、それを実現するのは容易なことではない。現代のRPGは、そのプレイ過程を見てみると、どんなに派手で要素が多くても、プレイヤーの選択肢としてはどれもがスタティックなものだ。そこには製作者の潤沢な手間が掛けられているけれど、その手間のほとんどはプレイヤーに対して何の努力も要求せずに、ただひたすらプレイヤーをアゲることに費やされている。グラフィッククオリティ、コンテンツの分量、派手で爽快感のみを重視したエフェクト、それらは無視できない要素ではあるけれど、それが必ずしも"自由な冒険"に結びつくわけではない。プレイヤーの経験が単なるチュートリアルになるのか冒険になるのかを分けるのは、コンテンツ量やグラフィッククオリティではなく、システムやフィールドが、それを可能にするように設計されているかどうかに掛かっている。そして"自由な冒険"は、何もないただのだだっ広いマップや、なんでもアリみたいなプレイヤーに都合の良い適当なシステムで実現できるわけではない。そこには適切な抑制が必要なのだ。その適切な抑制こそが、リアリティを伴った"自由な冒険"を可能にするのだ。


Ninelives_BIN_2015120314484002.jpgしかしこの適切な抑制はとにかく手間が掛かるのである。なぜならプレイヤーというのは本来、あらゆることをするものだからである。製作者的にはやって欲しくないことをするものだし、やって欲しいことをしないものなのだ。そして自由な冒険を提供するということは、この、やって欲しいことをせず、やって欲しくないことをするプレイヤーを進んで受け入れることから始まる。それを受け入れて、その上に適切な抑制を課さなければならない。つまり、まず最初にプレイヤーの欲望や好奇心があり、それを発揮するフィールドとしてゲームが機能するようにならないといけない。それが可能になって初めて、プレイヤーは本来の意味での冒険の主人公になることが出来るのだ。それは逆側から見れば、あらゆることをしてしまうプレイヤーが、自分の興味が赴くままに行動したときに、それに答える発見が無くてはいけないということだし、またその発見がゲームを台無しにしないように想定内に収めなくてはいけないということだ。これがもし一本道のプレイであるならば、そんなことは考える必要が無い。決まった戦闘回数でレベルアップさせ、決まった能力を覚えさせ、決まった報酬を与えるだけで済むのだから。


CI_map01_151206.jpgこれは冒険の最初の舞台となるCrimson Islesのマップ(上のワールドマップとともに作場製です。いずれもっと高解像度のマップがバンドルされたバージョンが有料販売されるそうなので、とりあえずこれぐらいの解像度で我慢してください)。このゲームの最大の特徴の一つはオープンワールドであることなんだけれど、この地図を見てみると、このゲームのマップがいかに作りこまれ、またあらゆるルートがプレイヤーに開かれているかの一端を見ることが出来る。作りこみのレベルで言うならば、まずほとんどの地形が何らかの意味を持たされており、プレイアブルな部分においては、ほとんどポリゴン単位で調整されていると言っても過言ではない。そして裏道やショートカット、秘密の場所や山登りなどが無数に仕込まれている。しかしそれだけの作りこみがされているにもかかわらず、その情報はプレイヤーに事前に知らされることはほとんどないと言ってよい。この点におけるこのゲームのシステムは呆れるほどに徹底している。つまり全てはプレイヤーによる発見を待っている状態に置かれているのである。


CH_map01-151206.jpgマップ、戦闘、採集物、アイテムクラフトの合成結果、さらにはクエストのストーリーにいたるまで、あらゆるものが、プレイヤーによる発見を待っている状態なのだ。秘密の道を教えてくれる人は居ないし、戦闘時に敵に与えるダメージもクリティカル以外では知るすべも無い。どんなスキルを組み合わせれば強いのかも分からないし、クラフトも作ってみるまでは何が出来るのかもわからない、ストーリーでさえ、それを深く知ろうとしないならば、その秘密を開示してくれはしないのだ。だがもちろん、ただ隠しているだけではない。プレイヤーが探究心を持ってそれらに望めば、プレイヤーを満足させるだけのリターンがちゃんと用意されているのである。そのようなプレイがプレイヤーにもたらすものは何か?それはプレイヤーの脳内に独自なゲームマップを生成し、そのマップ上に敵や採集物を配置し、戦闘の感触をプレイヤーの体感として記憶させ、さらにはそれらが統合されて、ひとつの冒険という経験をプレイヤーに与えることになるのだ。しかもその経験は、プレイヤーごとに異なるものとなるはずである。せっかちな人も、そうでない人も、コレクターも、そうでない人も、それぞれが自分の経験としてこのゲームを横断し、それぞれが求めた結果全てが、どんなに異なっていようとも正解となることが志向されているのである。


Ninelives_BIN_2015120319535286.jpgビデオゲームをプレイする際のルールは本来、与えられるものではなく、プレイヤーが自分で作るものだった。ここで言わんとしているルールとは、システムが要求するルールではなく、プレイの仕方のようなルールのことである。人それぞれに、プレイの仕方が異なり、冒険は、プレイヤー自身が独自に作ったルールによって初めて冒険となる。プレイヤーはゲームをプレイして、困って、悩んで、決定しないといけない。そして困ることも悩むことも決めることも、それが苦ではなく、やりたいことの中に納まらないといけない。そのひとりひとりの、困惑や思考や見切りが成されて初めて、プレイヤーはその世界に入っていくことができる。この単純な事実をここまで真摯に追及したゲームを俺は他に知らない。そしてこのように、プレイヤーを単なる消費者に貶めることなく、世界の主人公であることに気づかせてくれるゲームの重要性はどんなに強調しても強調しすぎることは無い。本来ゲームというのはそういうものであり、それこそがゲームの特権であったはずなのだ。


Ninelives_BIN_2015120400011383.jpgNinelives_BIN_2015120318263554.jpgNinelives_BIN_2015120400444144.jpgNinelives_BIN_2015120318044821.jpgNinelives_BIN_2015120323063952.jpgあまり細かいシステムの紹介などはしなかったけれど、その辺は公式サイトを見てもらうことにして、戦闘については少しだけ紹介しておこう。


Ninelives_BIN_2015120401371323.jpgNinelives_BIN_2015120401411298.jpgこれは次回のオープンテストで実装される新クラスMageの戦闘シーンで、しかもおんなじスキルばっかりで恐縮だけれど、まあそれは置いといて、このゲームのアクション性とダイナミックな戦闘は、外の景色の静かなスクリーンショットとは裏腹に、かなりのもんですよ、ってところをぜひ伝えておきたい。というよりも、作者的にはこの辺が最も力の入っている部分だったりするわけだが。俺みたいな反射神経の鈍ったおっさんがプレイしても、これだけ十分かつ大胆に戦うことが出来るし、アクション得意な人だったら、さらに大胆な爽快感のあるプレイが可能になるように設計されているのである。この辺のキャラクタービルドのバリエーションも特筆すべき点で、アクションが苦手な人は苦手なりに、得意な人は得意なりに、偏った趣味ビルドを楽しみたい人はそのように、とにかく懐が深いのである。


Ninelives_BIN_2015120318292346.jpgNinelives_BIN_2015120322305756.jpgしかしこの懐の深さも、このゲームがもたらす無限のバリエーションをもつランダムアイテムとスキルの多様性を考えるとき、そのバランスを保つことが、いかに困難なことかを忘れるわけにはいかない。つまりここでも適切な抑制が重要なのだ。だが現在のところ、このゲームはその困難な目標を実現しつつあるように思える。もちろん今後、多数のプレイヤーが参加することによって、更なるバランス調整が必要になることは明らかであるけれど、おそらく彼等ならそれをやってのけるだろう。


Ninelives_BIN_2015120314360861.jpgまあ長々と書いたけれど、とにかく言いたいことは一つだ。この類まれな自由な冒険を出来る限り多くの人に経験してもらいたいということだ。しかもこのゲーム、タダなんですぜ?もちろん課金することで倉庫増やしたりは出来るんだけど、課金しないとクリアできないとか、強くなれないとかといったことは、一切しないと明言している。あっぱれ。


Ninelives_BIN_2015120317504975.jpg

Ninelives - Free Online RPG|Smokymonkeys

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