story

LOVE-20という新型ウィルスが発見されたのだは、つい一年ほど前のことである。当初、不審死を遂げる老人が急増し、その死因がウィルスによるものであることが判明するまでには数百人の犠牲を必要とした。なぜなら、その犠牲者たちにはウィルス感染にありがちな症状などが全く見られず、心の空白を訴える以外の変化が見られなかったからである。当然のことながら医師たちはこれを精神疾患の一種と判断し坑鬱剤などの薬剤投与をするにとどまった。
この疾患がウィルスによるものであることが判明したのは、著名な富豪の死がきっかけであった。その死に衝撃を受けた数人の富豪達がこの原因不明の疾患に巨額の資金を投じ、優秀な研究者たちに死因を突き止めさせたのである。そこで判明したウィルスの特徴は前代未聞のものであった。
人には周知の事ながらLOVE中枢と俗称されている器官があり、この器官は人間同士のコミュニケーションにおける成果物のうち、喜びや心配、贈与などを通して他者から照射されるエネルギーによって、人体に生成される粒子、つまりLOVE粒子が貯蔵される器官であり、かつては、それが機能しなくとも生存に関与しないとして不要な器官であるとされていたものである。
LOVE-20はこのLOVE中枢に直接働きかけ、LOVE中枢の機能不全を誘発することが判明したのである。その結果、罹患者は極度な神経症的不安、虚無感、孤独感を発症し、その後自律神経系が次第に崩壊し、やがては死に至る。また通常の精神疾患と異なり、その進行は一つの例外を除いて不可逆的であり、進行のスピードもわずか数週間で死に至ると言う極めて速いものであることも判明した。治癒の可能性は唯一つ、LOVE-20への唯一の抗体である他者からのLOVEを獲得することであった。

この研究結果が発表されるやいなや、世界中に衝撃が走った。発生時期から発表までに至った期間を考慮するならば、パンデミック寸前であることは確実であったからである。まず資産に余裕のある者たちは、LOVE-20を遮断できるシェルターに篭った。またある者はLOVEを獲得するために数兆円から数億円規模の現金の配布を行った(彼らは資産以外に自分が使える駒を持っていなかったのである)。

影響は富裕層や権力者には留まらなかった。老人たちは急に優しくなり、事あるごとに孫に小遣いをあげ、食事の準備を進んで申し出、ゴミ捨てをし、なんなら公共の道路を清掃し、布団に入れば自分の言動を毎日反芻してはLOVE粒子が減るような行いをしなかったかを反省するようになった。

しかしLOVE-20の狡猾さは予想をはるかに超えるものであった。尊敬や憧憬による照射は無効であったし、下心や射幸心を持つ者も容赦なく切り捨てた。それが自己の延命のためである限りは、LOVE粒子の生成が起きなかったからである。物流は止まり経済は停止したが、不思議と若者への影響は極めて少ないものであった。結果、世界の老人の70%、壮年の30%、若年の5%の尊い人命が失われることとなった。

そして現在、LOVE-20は今も根絶されていないが、今は誰もそれを恐れなくなった

去年の9月25日に母の訃報を知らされた。ちょうど一年前の俺の52歳の誕生日だ。警察署の死体安置所で見た死後4日経った母の身体は、既に腐敗が始まっていて、あれほど身なりに執着していた母の歯が何本も欠けたままになっていたことに違和感を抱いた。その後俺は、ほぼ半年の間、その後始末に追われることになった。人が死ぬということは、生命の終わりである以上に、社会からその存在を清算する為のウンザリする作業を、残されたものに課すものなのだという事を知らされた。

そして今日の夜。俺はいつもよりもちょっと高い酒を飲みながら、妻と一緒に園子温の「冷たい熱帯魚」という映画観ていた。素晴らしい映画だったが、半分ほど物語が進んだときに窓の外の縁側でギシッという音がした。「猫かな?」と俺は言った。実際ウチには徘徊にやってくる猫がいたし、そんな重みを感じさせる音だったのだ。1分ほどして、気になった猫好きの妻が玄関を開けたのだが、そこにいたのは二十歳ぐらいの大きな眼をした一人の女の子だった。女の子は「酔っ払ってしまってすみません」と言った。

ウチは雑木林に面した行き止まりの家だ。家に辿り着くためには、なんの明かりもない道を30メートルほど歩かないと辿り着くことはできない。つまり、ウチの前に来る人は、郵便配達や、検針業者や、宅配便のお兄ちゃんや、新興宗教の勧誘ぐらいであって、これらの人々に共通するのは、ウチを目指してくる人だということだ。そうでないような訪問者は、カラスに追われたミミズクだったり、ヤブカラシに誘われたオオスズメバチやアオスジアゲハぐらいのものなのだ。

どのような理由で真っ暗な道を歩いてウチの縁側に腰掛ける若い女の子が来たかなんて想像もできない。女の子は申し訳無さそうな顔をしてすぐに家の前から立ち去ろうとして、それを妻が懐中電灯を片手に追った。俺はどうしようか迷ったが、付いて行かない方がいいだろうと思った。そして家に戻り妻の帰りを待つことにした。たぶん長く掛かるだろうと思った。バス停まで送るかもしれないし、安心するまでつきあうかもしれない。

20分ほどして妻が戻ってきた。女の子は裸足で、途中に脱ぎ捨てられた靴があり、笑いながら涙を流していて、誰かと喧嘩をしたらしく、それでも自分の靴を履くと、少しはシャキッとして、最後には「もし覚えていたら、遊びに来てもいいですか」といって別れたのだそうだ。そして「なんだかさぁ」と妻は言った。「なんかあんたのお母さんが会いに来たんじゃないか、とか思っちゃった。偶然だけど…」とんでもない偶然もあったもんだ、俺はそう思って、でも、そういう考え方も悪くないなと、妙に納得してしまった。人が生きていくためには不条理であろうとなんだろうと、たくさんの納得が必要なのだ。たくさん納得して死にたいのだ。

今日は彼岸花を今年初めて見た。小学生の時に初めて彼岸花を見て、この自分が生きている世界にこんなに不思議で綺麗な花があるのかと感動して、生まれて初めて花を摘み、それを持ち帰り、自慢げに母親に見せたら「お前は摘んじゃいけない花を摘んできたねぇ」と言われたのだった。そしてもちろんその花は飾られることもなく捨てられたのだった。

今夜のコオロギはとても控え目で良い声だ。

人は物語を求めている。それも自分のものだと思える物語を。重要なのは自分のものだと思えるということだ。

叱られたり、諭されたり、導いてもらったり、縛られたり、決め付けてもらったり、することが大好きなのだ。自分の物語であると思うことが出来さえすれば。そしてそのようにさえ思い込めれば人は自分の物語の中でとんでもない力を発揮する。あたかもスーパーサイヤ人になった悟空のように。

だから多くの人が自分の物語だと思い込めるものは、とんでもない利益と熱狂と強制力を生む。映画だろうがライブだろうが選挙だろうが小説だろうが宗教だろうが全部一緒だ。

ここに起きているのは、多くの人が自分と同じ物語の中に居てほしいという欲望だ。それは裏返せば、あなたの物語じゃないんじゃないの?という事になるんじゃないかと思うのだが、そうはいかない。それはおそらく、欲しかったものの本質が、自分の物語ではなく、自分の物語だと思えたものが多くの人々と共通であったということにあるからなんだろう。

つまり、よりわかりやすく言えば自分の物語など、どうでもいいのだ。重要なのは自分に都合よく引き寄せることの出来る共有感覚なのだ。もっと言ってしまえば寂しいのは嫌だということだ。さらに寂しい自分は生きている気がしないということだ。寂しい中では生きられないということだ。そんな中では力が発揮できないということだ。私にはスーパーサイヤ人になることが出来る資質が備わっているはずなのに、その資質が封じられていると誰もが感じているということだ。お願いだから私じゃない外側の誰かさん、私を開いてください、と言い続けているわけだ。フリーザ、ラブ。

分かり易いとはそういうことだ。何が分かり易いんだか知らないが。

081026.jpgルゼルブ号の発射にあたって、私は私が失うものを書き出した。
熟考の結果、書き出しには三日が費やされた。
リストは1723項目にも及んだ。
そしてそれらの項目には
私がこれまで抱え込んでいたほとんど全てが含まれていた。

だがもちろん、
私が失おうとしても失うことの出来ないものは残るのだ。
それ以外に必要なものなどあるものか。
私にはそう思えた。

おじいさんがリフトに乗って本を読んでいる。
現在の高度は400メートル。上りだ。
リフトの椅子はクッションが入っていてソファのようだ。
なんの本を読んでいるのかはわからない。
さっきから頬が緩んでいるので小説か何かだろう。

おじいさんのリフトはあとどれぐらい続いているのだろう。
おじいさんは終点まで本を読み続けるのだろうか。
それまでにお話が終わってしまったりしないだろうか。

おじいさんのリフトのスピードは
私のリフトより少し速かったので
それを確認することは出来なかった。
おじいさんは今あの雲の中だ。

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