thinking

メンテナンスをするってことは面倒なことだ
しなければならないメンテナンスのほとんどは
興味の向いていないものだからだ

しかしほとんどの現実は興味の向いてない方角からやってくる
それはどういうことかといえば
メンテナンスをしていなかったら死んでしまうかもしれないということだ

消費生活とメンテナンスほど相反するものは無いだろう
消費生活はメンテナンスを否定する
それが消費の本質だ

掃除なんかするな
修理なんかするな
油なんか差すな
手入れなんかするな
撫でるな
愛するな
放っておけ

そう消費は要求する
そしてそれは楽なのだ
自分自身が疎外されているにもかかわらず
というより
自分自身が疎外されているからこそ楽なのだ

人は消費という悪魔と
メンテナンスという地獄の間で揺れている
豊かであるということは
なんて難しいのだろう

言葉から生まれた発想には言葉を
ビジュアルから生まれた発想にはビジュアルを
ハードウェアから生まれた発想にはハードウェアを
それぞれにそれぞれを

過去に必要だったものには過去を
今必要なものには今を
それぞれにおいてその通りに

過去を振り返り
その過去に最高の評価を与えるために努力するのではなく
そのように競争するのではなく

今 必要とされていること
それは
今 最も損なわれていること

その欠乏のそれぞれに相応しい形を

「効率無視なんて悠長なことは言ってられない」という時代から「効率重視なんて悠長なことは言ってられない」という時代になるのではないかと思っている。

いわゆる「効率」というのは、条件を限定して初めて可視化される。無限の条件を加味しては効率を測定することは出来ない。限定された時間、限定された温度、限定された空間、限定された環境、限定された資源、限定されたエネルギー、限定された組織、限定された技術、限定された知識、限定された価値観、限定された習慣、限定されたコミュニケーション、そういうものの上に立って全ての効率は測られている。そうしないと測れない。しかしそうであるからこそ、その内の一つでも、拡張したり縮小したり、上昇したり、下降したりしてしまうと、その効率は変化してしまう。そして人間の日常や非日常はより多くの、おそらくは無限といって良い様な条件の上で営まれている。これまでの効率に加味されている条件など、その全体から見ればどれほどわずかであることか。人間にとっての効率は、そのような意味では、一度も正しく測られたことはない。なにが言いたいのかといえば、これまでの「効率」では生きていけないような時代がすぐそこまで来ていて、新しい「効率」を探さないといけないのではないかと思っているのだ。そしてその効率はたぶん「科学的」な効率でも「経済的」な効率でもないのだろう。強いて言うなら「身体的」効率であったり、「心理的」効率であったり、「心霊的」効率であったりするのだろう。例えば死を遠ざけず、病を悪者にしない、というだけでも既存の効率の価値体系は崩れるだろう。内燃機関のエネルギー効率が15%から25%にアップするようなことや、ひとつのネジ工場の一日の生産高が5000本から500万本にアップするようなことが、死を遠ざけないという一点の価値観の変換だけで無意味化してしまうだろう。

効率を支えているのは搾取と技術だ。
搾取の限界はすぐそこまで来ている。そして技術は効率に縛られてきた。効率によって葬られたり、堰き止められてきた技術は山ほどある。独占者を悪者にするのは簡単だが、独占者を独占者たらしめてきたのは、効率を喜び、羨望し、全てを自分の意志で打ち捨てて身を投じた被独占者たちだ。しかし有難いことに、効率に決別するための技術は、それほど深くに埋葬されているわけではない。少なくとも今はまだ、決意をもって手を伸ばせば届くぐらいの場所にある。

エンジンを回転させればエンジンは消耗する。
エンジンを回転させなければエンジンは腐敗する。
いずれにしてもエンジンは終わりを迎えるが、
エンジンにとっての幸せは、
それが生まれてきた理由を考えるならば消耗であることは間違いない。
しかしこの原則を原発に対して適用したいとは思わない。
おそらく原発は、人間が発明したもっとも不幸な装置だ。
そしてもちろん、人間もまたひとつのエンジンだ。
人間は人間としてのエンジンを消耗するべきなのだ。
その消耗は単なる消耗ではなくメタエンジンとしての歯車なのだ。

風評被害と風評利益を区別するべきではない。前者は緊急時に使われるが、後者はそれに覆い尽くされるぐらい日常的に使われている。世界は風評で動いている。少なくとも通信とコミュニケーションの遠隔操作化が実現した世界においては。

人が科学的に正しいと思える判断に基づいて行動を決めたいと思うときには、その判断基準は科学的ではない。なぜならそこには科学は存在せず、科学的に見えるというイメージしかないからだ。

(思うところあり再考中)

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