game

unnamed.jpgこの1年ほど関わっていたアプリが公開されました。
HENGE(変化:へんげ)。流行りの顔認識アプリの怖いバージョンみたいなものです。生成される画像は、目や口などのパーツごとに組み合わされるため、相当な種類のバリエーションが生成されますので、変顔自撮りのお供に、クリーチャーデザインのお供に、変身願望の実現に、ぜひ遊んでやってください。
《IOS版》

《Android版》


henge_636302239947129450.jpghenge_636305514816212860.jpghenge_636301279705439770.jpghenge_636301275423867240.jpg上のカバー画像の高解像度版


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Ninelives-2015-12-03-14-15-48-00.jpg以前に紹介した開発名"Project Kyrill"というSmokymonkeysのゲームが"NineLives"という正式名称となって来年の1月からオープンテストが開始される(公式サイトはここ)。これまでの開発期間はなんと6年である。しかしまだテスト段階ではあるし、公開されるエリアも予定されている全9エリアの内の2エリアに過ぎない。しかしその2エリアでも、このゲームがどんなゲームかを感じさせ、また楽しむことができる、十分なボリュームを持っている。まあすでにクローズドアルファテストも行われているわけではあるけれど、この機会にちょっとレビューをしてみたいと思う。「どうせ身内のレビューでしょ」などと思わずに読んでみてくれると有難い。


worldmap2048_150516.jpgNinelivesはどんなゲームか?これを出来る限り短く説明しようと思うならば「自由な冒険が出来るRPG」これに尽きると思う。は?と思うかもしれない。そんなのどんなゲームでも当たり前じゃん、と。しかし果たしてそうだろうか?冒険とは何か?それが自由であるとはどういうことか?を考えてみて欲しい。今のゲームに経験としての"冒険”をプレイヤーに感じさせることが出来るゲームがどれだけあるのか、プレイヤーに"自由"を与えてくれるゲームがどれだけあるのか。とは言え、俺自身がそれほど最近のゲームをプレイしているわけではない。しかしその状況は容易に想像がつく、なぜならゲームをプレイしなくなった理由の一つは、ゲームから冒険と自由がなくなりつつあった時期だったからだ。


Ninelives_BIN_2015120316285066.jpgミニマップしか見ないゲームプレイ、ダメージ表記と派手なエフェクトだけのゲームプレイ、ナビゲーションに従うだけのゲームプレイ、決められたようにしか成長しないキャラクター、決まったものしか出てこない宝箱、一本道のマップ。RPGがなぜこのように進化してしまったのかは容易に想像がつく。それはつまり、可能な限りプレイヤーの手間を省き、最短距離で快感に導き、薄っぺらい承認要求を最速で満たすための進化だったわけだ。そしてそこには需要が存在していたわけだ。つまり誰もが、それが小学生であれサラリーマンであれ、とにかく忙しい人になり、そんな忙しい人々であっても、ゲームが与えてくれる過程を無視した末端の果実だけを、まるでゲーム全体がチュートリアルであるかのようにすることで、つまり従属をメインとしたプレイをさせることによって可能にしようとした結果なのだ。そんなゲームのどこに自由な冒険の入る余地があるだろうか?それはもはや冒険のふりをした牢獄のようなものだ。


Ninelives_BIN_2015120315475888.jpgしかしそんな牢獄にも需要は確かにあるわけだ。それは否定しようも無い。そこにはマーケットがあり、利益が上がっているわけだから。ただ、ゲームってそんなものだったんだろうか?と思っている人だって居るはずなのだ。なにかもっとわくわくしたり、悩んだり、嬉しかったりしなかったっけか?そう思っている人は少なからず居るはずなのだ。Ninelivesはそこに応える為にあるようなゲームだ。それを時代に逆行していると見る人も居るかもしれないが、俺はそんなことは無いと思っている。なぜなら、かつてそれを感じさせてくれた古いゲーム達は、おそらくゲームをプレイする時の過程の重要性に対して、今よりもずっと無垢で無自覚だったと思えるからだ。黎明期のビデオゲームが、ことさらに意図することなく"自由な冒険"を実現していたのは、その半分は未熟さゆえの無意識であり、その半分はアナログゲームから受け継いだ伝統であったのだと思う。しかしそこにテクノロジーの進歩が加わるごとに、出来ることの自由が加わるごとに、失われていったものが"自由な冒険"なのだ。そしてこのNinelivesというゲームは、その"自由な冒険"を、現在のテクノロジーを使って、きわめて意識的に再構築しようとしている。それこそがこのゲームの最も革新的な部分なのであると俺は思っている。


Ninelives_BIN_2015120314205360.jpgだがこれを言葉で言うのは簡単だけど、それを実現するのは容易なことではない。現代のRPGは、そのプレイ過程を見てみると、どんなに派手で要素が多くても、プレイヤーの選択肢としてはどれもがスタティックなものだ。そこには製作者の潤沢な手間が掛けられているけれど、その手間のほとんどはプレイヤーに対して何の努力も要求せずに、ただひたすらプレイヤーをアゲることに費やされている。グラフィッククオリティ、コンテンツの分量、派手で爽快感のみを重視したエフェクト、それらは無視できない要素ではあるけれど、それが必ずしも"自由な冒険"に結びつくわけではない。プレイヤーの経験が単なるチュートリアルになるのか冒険になるのかを分けるのは、コンテンツ量やグラフィッククオリティではなく、システムやフィールドが、それを可能にするように設計されているかどうかに掛かっている。そして"自由な冒険"は、何もないただのだだっ広いマップや、なんでもアリみたいなプレイヤーに都合の良い適当なシステムで実現できるわけではない。そこには適切な抑制が必要なのだ。その適切な抑制こそが、リアリティを伴った"自由な冒険"を可能にするのだ。


Ninelives_BIN_2015120314484002.jpgしかしこの適切な抑制はとにかく手間が掛かるのである。なぜならプレイヤーというのは本来、あらゆることをするものだからである。製作者的にはやって欲しくないことをするものだし、やって欲しいことをしないものなのだ。そして自由な冒険を提供するということは、この、やって欲しいことをせず、やって欲しくないことをするプレイヤーを進んで受け入れることから始まる。それを受け入れて、その上に適切な抑制を課さなければならない。つまり、まず最初にプレイヤーの欲望や好奇心があり、それを発揮するフィールドとしてゲームが機能するようにならないといけない。それが可能になって初めて、プレイヤーは本来の意味での冒険の主人公になることが出来るのだ。それは逆側から見れば、あらゆることをしてしまうプレイヤーが、自分の興味が赴くままに行動したときに、それに答える発見が無くてはいけないということだし、またその発見がゲームを台無しにしないように想定内に収めなくてはいけないということだ。これがもし一本道のプレイであるならば、そんなことは考える必要が無い。決まった戦闘回数でレベルアップさせ、決まった能力を覚えさせ、決まった報酬を与えるだけで済むのだから。


CI_map01_151206.jpgこれは冒険の最初の舞台となるCrimson Islesのマップ(上のワールドマップとともに作場製です。いずれもっと高解像度のマップがバンドルされたバージョンが有料販売されるそうなので、とりあえずこれぐらいの解像度で我慢してください)。このゲームの最大の特徴の一つはオープンワールドであることなんだけれど、この地図を見てみると、このゲームのマップがいかに作りこまれ、またあらゆるルートがプレイヤーに開かれているかの一端を見ることが出来る。作りこみのレベルで言うならば、まずほとんどの地形が何らかの意味を持たされており、プレイアブルな部分においては、ほとんどポリゴン単位で調整されていると言っても過言ではない。そして裏道やショートカット、秘密の場所や山登りなどが無数に仕込まれている。しかしそれだけの作りこみがされているにもかかわらず、その情報はプレイヤーに事前に知らされることはほとんどないと言ってよい。この点におけるこのゲームのシステムは呆れるほどに徹底している。つまり全てはプレイヤーによる発見を待っている状態に置かれているのである。


CH_map01-151206.jpgマップ、戦闘、採集物、アイテムクラフトの合成結果、さらにはクエストのストーリーにいたるまで、あらゆるものが、プレイヤーによる発見を待っている状態なのだ。秘密の道を教えてくれる人は居ないし、戦闘時に敵に与えるダメージもクリティカル以外では知るすべも無い。どんなスキルを組み合わせれば強いのかも分からないし、クラフトも作ってみるまでは何が出来るのかもわからない、ストーリーでさえ、それを深く知ろうとしないならば、その秘密を開示してくれはしないのだ。だがもちろん、ただ隠しているだけではない。プレイヤーが探究心を持ってそれらに望めば、プレイヤーを満足させるだけのリターンがちゃんと用意されているのである。そのようなプレイがプレイヤーにもたらすものは何か?それはプレイヤーの脳内に独自なゲームマップを生成し、そのマップ上に敵や採集物を配置し、戦闘の感触をプレイヤーの体感として記憶させ、さらにはそれらが統合されて、ひとつの冒険という経験をプレイヤーに与えることになるのだ。しかもその経験は、プレイヤーごとに異なるものとなるはずである。せっかちな人も、そうでない人も、コレクターも、そうでない人も、それぞれが自分の経験としてこのゲームを横断し、それぞれが求めた結果全てが、どんなに異なっていようとも正解となることが志向されているのである。


Ninelives_BIN_2015120319535286.jpgビデオゲームをプレイする際のルールは本来、与えられるものではなく、プレイヤーが自分で作るものだった。ここで言わんとしているルールとは、システムが要求するルールではなく、プレイの仕方のようなルールのことである。人それぞれに、プレイの仕方が異なり、冒険は、プレイヤー自身が独自に作ったルールによって初めて冒険となる。プレイヤーはゲームをプレイして、困って、悩んで、決定しないといけない。そして困ることも悩むことも決めることも、それが苦ではなく、やりたいことの中に納まらないといけない。そのひとりひとりの、困惑や思考や見切りが成されて初めて、プレイヤーはその世界に入っていくことができる。この単純な事実をここまで真摯に追及したゲームを俺は他に知らない。そしてこのように、プレイヤーを単なる消費者に貶めることなく、世界の主人公であることに気づかせてくれるゲームの重要性はどんなに強調しても強調しすぎることは無い。本来ゲームというのはそういうものであり、それこそがゲームの特権であったはずなのだ。


Ninelives_BIN_2015120400011383.jpgNinelives_BIN_2015120318263554.jpgNinelives_BIN_2015120400444144.jpgNinelives_BIN_2015120318044821.jpgNinelives_BIN_2015120323063952.jpgあまり細かいシステムの紹介などはしなかったけれど、その辺は公式サイトを見てもらうことにして、戦闘については少しだけ紹介しておこう。


Ninelives_BIN_2015120401371323.jpgNinelives_BIN_2015120401411298.jpgこれは次回のオープンテストで実装される新クラスMageの戦闘シーンで、しかもおんなじスキルばっかりで恐縮だけれど、まあそれは置いといて、このゲームのアクション性とダイナミックな戦闘は、外の景色の静かなスクリーンショットとは裏腹に、かなりのもんですよ、ってところをぜひ伝えておきたい。というよりも、作者的にはこの辺が最も力の入っている部分だったりするわけだが。俺みたいな反射神経の鈍ったおっさんがプレイしても、これだけ十分かつ大胆に戦うことが出来るし、アクション得意な人だったら、さらに大胆な爽快感のあるプレイが可能になるように設計されているのである。この辺のキャラクタービルドのバリエーションも特筆すべき点で、アクションが苦手な人は苦手なりに、得意な人は得意なりに、偏った趣味ビルドを楽しみたい人はそのように、とにかく懐が深いのである。


Ninelives_BIN_2015120318292346.jpgNinelives_BIN_2015120322305756.jpgしかしこの懐の深さも、このゲームがもたらす無限のバリエーションをもつランダムアイテムとスキルの多様性を考えるとき、そのバランスを保つことが、いかに困難なことかを忘れるわけにはいかない。つまりここでも適切な抑制が重要なのだ。だが現在のところ、このゲームはその困難な目標を実現しつつあるように思える。もちろん今後、多数のプレイヤーが参加することによって、更なるバランス調整が必要になることは明らかであるけれど、おそらく彼等ならそれをやってのけるだろう。


Ninelives_BIN_2015120314360861.jpgまあ長々と書いたけれど、とにかく言いたいことは一つだ。この類まれな自由な冒険を出来る限り多くの人に経験してもらいたいということだ。しかもこのゲーム、タダなんですぜ?もちろん課金することで倉庫増やしたりは出来るんだけど、課金しないとクリアできないとか、強くなれないとかといったことは、一切しないと明言している。あっぱれ。


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Ninelives - Free Online RPG|Smokymonkeys

Twitterで教えてもらった。いまだに問い合わせのメールがあったりするので、せっかくだから貼り付けておこう。

ついでにいくつか。
地震のあとに、地震とは関係無くPCが壊れてしまい、いろいろとデジタル環境が限定されています。メールアドレスのru_post@t-s-k-b.comのメールも取れてません。すみません。もし問い合わせなどある場合はtsakuba@gmail.com(@を半角に直して)までお願いします。

PCは原因もわかっているし、お金も大してかからないのでさっさと直せばいいのだけれど、なかなかそんな気になれない。理由はいくつかあるのだけど、家の周りの放射線量が思っていたより高かったのもその原因の一つ。年間3mSv前後ってかなり嫌な感じだ。子供がいたらさっさと引越してる。そうじゃなくても微妙だ。低線量被曝については諸説あるし不明確な部分が多々あるのは理解できるが、少なく見積もってもICRPやIAEAなどの基準や見解が過小評価だというのは間違いないと思っている。なんといっても彼らは原発を推進するための組織であって、人間の安全を保つための組織ではないからね。ちなみにチェルノブイリ事故のときの低線量被曝地帯(年間1.1mSv?5.7mSv)の影響はこんな感じらしい。現在、東京の東から茨城に続くこのレベルの線量地帯には子供を育てている友人や知人が何人もいる。とても心配だ。福島の人は言わずもがなだけど、それぞれが自分と家族のことを考えて行動するしかないのだ。クソ政府は嘘しかつかない。

080730.jpgこれは3年ほど前に描いた自分のゲームプロジェクト用のテクスチャーテスト画像(クリックすると拡大します)。建物の方はいまいちだけど、草はずいぶん試行錯誤している。このあとこの草原に木を生やそうとしたら途端に上手く行かなくなって座礁した。

まあ、それはいいとして、このテクスチャーで目指していたものの一つは、「そこにある感」だ。実際以上に近く、空気が薄まったかのような空間。それをジオラマ感といってみる。考えてみれば、去年作ったレンズから覗く箱も同じものを求めている。ただ単に精巧に作られた模型や、写真のように描かれた絵じゃつまらないのだ。俺の見たいものはそこにはない。そんな風には見えていない。どんな風に見えているのか、どんな風に見たいのかといえば、ジオラマ感を伴って見たいのだ。そのジオラマ感は自分の中で非常に濃密な時間に結びつく。ゾクゾクするのに落ち着く時間だ。

63393285_223.jpgブックレットの方も含めていったいどうなるのか?!

って予約どころじゃないね、これ。
鬼のように働いております。
とにかく今のところはとっても素敵なものになる予定!

water2.jpgゲームのためのマップ描きに明け暮れている。といってもまだ素材作りの段階で実際に使用するマップは一枚も出来ていない。

自分がどれぐらいのクオリティでマップを仕上げたいのか。どんな光で、どんなディテールでそこにあるのか。そういうことを試行錯誤しながら一つ一つ決めていく。たとえば草のテクスチャが上手く行くとそれまでいいと思えていた地面のテクスチャが良くなくなる。地面と草が上手く行くと樹が上手いこと描けなくなる。こういうことの繰り返し。これらの問題は俺が最終的なビジョンをしっかりと掴んでいないから起きる。草だけをハイコントラストのカリカリのディテールで仕上げたところで、その上に似たような樹が自然に生えるわけが無い。空間と光が掴めていないのだ。でもこの果てしない作業を繰り返していれば多少は学習もするもんだ。ちょっとづつ自分が居る場所が見えてくる。

こういう作業ではまりすぎると先に進めなくなる。よくある罠だ。だけどもうちょっと詰めないと。このわがままが許されることって凄く幸せだ。

04:42
樹や草や地面など一つ一つはかなりコントロールできるようになってきたんだけど、それぞれのバランスがまだ取れていない。この問題はほとんどクォータービューの視点によるものだ。たとえば一面に敷き詰められた草原に生える樹木。牧草地みたいな草原や芝生の草原に樹を生やすのは簡単だ。色のコントラストも明度のコントラストも簡単に作れる。ところが立体的で多様な植物が生えた草原に生やそうとすると、とたんに難しくなる。

これがヨコからの視点だったら、空気遠近法や空間の構成でいくらでも回避する技はあるんだけど、クォータービューだとそうは行かないのだ。毎日樹や草を見まくっているんだけど、まだつかめない。早くしないと葉っぱが落ちちゃうよ。

07:15
ゲーム画面をデザインしたり描いたりしていつも思うのは、「絵になりにくい」ところをいかに無くすかって事だ。スクロールしない絵だったり、量産を前提としない世界なら、いくらでも「絵になる」画面を作ることが出来る。でもゲームはそんなに甘くない。もっと細やかに丁寧にバランスをとってあげないと大雑把で不明確なところがどうしても出てきてしまう。なんとかしてそれを回避したいんだけど。

こういうのって映画や漫画にも言える気がするな。

07:55
スクロールするってことは、あらゆる場所に奥行きを無視して焦点があっているということだ。それはとても不自然なことなんだけど、そういう画面にはとても惹かれるし、絵ってそもそもそういうものなんじゃないかとも思っている。「記号的」で「人工的」で「装飾的」。ただ、これまでに開発された絵の技法に今やろうとしていることが当てはまらないだけで、絵という現実の解釈の仕方には背いていないやり方のはずだ。写真ではこういうのをマルチフォーカスといったりするけど、ちょっとしっくりこない。もうちょっと拡大してフラットフォーカスとでも呼びたい気持ち。
08:28
フラットフォーカスってエロくない?
08:37
ボッシュやブリューゲルはけっこういい線行ってると思うんだけど、やっぱりかなり都合のいい空間を構成している。これは別に彼らの作品の質の問題ではなくて、時代のリアリティの問題だと思う。俺が欲しいものはそこにはないけど、その時代においては充分にリアルだったんだろうなってことは感じられる。同様にペルシャのミニアチュールとか源氏物語絵巻とか宗達の屏風とかもフラットフォーカスだ。今ここに上げた作品はどれも大好きで沢山喜びを貰ったものだ。でも欲しいものはそこにはないし、それで当然だと思う。

過激じゃなくていい。過激さは邪魔だ。
重要なのは敏感であることだ。

050817-1.jpg050817-2.jpg050817-3.jpgこのところ四角ばっかり描いているのです。正方形やら長方形やら。要するにゲームのマップを考えたり、基本的なフォーマットのサイズを検討したりしているわけです。最終的な世界の広さとか、一つのマップにどれぐらいの情報量を入れるべきかとか、機械の処理能力との兼ね合いとか、自分の処理能力との兼ね合いとかを想像しながら。これが楽しくてしょうがない。楽しすぎるので日記を書くどころじゃないと、まあ、そういうわけです。写真からちょっとは雰囲気が伝わるかな。まだ海のものとも山のものともつかないので、具体的なことは自主規制しときます。下のは試験的なスクリーンショット。ちょっとだけオマケ。
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