何日か前に3Dの画像に惚れたことが無いという話を書いたけど、それがくつがえされるのも時間の問題だなという感じがしてきた。
何で惚れることが出来ないような画像が多いかは分かっている。一言で言ってしまえばコントロールされていないからだ。ソフト側がする計算で良しとしてしまっている部分が多すぎるというのもあるし、作る側がそこまでのイメージを持っていないというのもあるし、「写真みたい」に見えればスゴイとされるということもある。それらは道具や既存のイメージの中でしかやっていないということであって、やりたいことがストレートに出ていないということだ。そして何でそんな風になるかといえば、なんと言っても手順が複雑すぎるからだ。
おそらく技術者じゃない人間がコンピュータで何かを表現しようとしたのって、言葉、つまり文学者が最初だろう。ワープロこそが初めて表現に役立ったコンピュータだ。その次が音楽、そしてさらに何年もたって、絵を描く人間がそれに加わった。立体を作る人間はどうだろう。工業デザインの世界では今、まさに全面的な移行が完成しようとしている。でも個人レベルで考えると(特に最終出力の問題が大きいんだけど)まだまだ難しいものがある。でも、それはもう始まっているんだなぁというのは確かに感じることが出来るところまでは来ていると思う。
もう何でもアリだなという感じもするんだけど、やっぱりまだ過渡期なのだ。リアルタイムレンダリングの3Dゲームだってまだショボショボだし、個人が3Dソフトで作ったデータをプロダクトに移し変えようとしたらそれなりの努力を強いられる。それでも、もう芽は出始めていて、なんか大きな変化が近いうちに起きるんだろうという雰囲気がプンプンしている。
きのう書いたZBrushというソフト、初めてフォトショップをいじったときの興奮を思い出した。デモ版を落としてみたんだけど、英語なのに画像ソフトを触っているような感じで何とかなってしまうというところもすごい。まだ見せられようなものは何も無いけど、そのうちちゃっかり使っているかもしれない。