ru:Tag=[Computer]

1:Google Chromeで俺のサイトの日本語が表示されない。スタイルシートをいろいろいじっても改善されず。でも他のブラウザは全部表示されてるんだぜ?UTF-8がいけないのかなぁ、くそう。Chromeで来る人結構いるんだよなぁ。

2:Picasa3にアップデートされたら、2.5GBぐらいのデータベースが全部リセットされた。なんで?8時間ぐらい検索しても半分しか終わらず、何もかもがフリーズしまくる。13万枚ぐらいある俺の画像ファイルが多すぎますか?そうですか。Googleが嫌いになりそう。でもViwerはかなり便利だ。これだけインストールできればいいのに。

3:携帯電話の写真画像取り込みがウザ過ぎる。すぐに通信が切れてたかが30枚ぐらいの画像を取り込むのに何十分も掛かる。これは早いとこ外部メモリが使える携帯を買えってことなのか。気に入っているのに買い替えって悲しい。とか言いながらExilimケータイW63CAに傾いている俺。しかし移動の基本が自転車になるとやっぱり重いカメラなんて持てないな。いつも携帯電話で済ませちゃう。マイクロフォーサーズの一眼早く出ないかな。思わずトイデジに走りそうだよ。

4:自分のPCにスペック不足を感じる局面が増えてきたんだけど、そのほとんどが消費系アプリで嫌になる。つまり作る分にはそれほど不自由していないのだ。FlashだのViewrだのゲームでスペックが足りないとか思わされるのはすんごい不本意だ。なんか間違ってる。これって見方を変えればOSだのアプリケーションだのが成熟期に入ってきたって事なんだろうな。進化の方向が明らかにカジュアルになってきてる。本質的じゃない。しかしそれと同時に、ハイエンドPCを2000Wで駆動しないと出来ないようなゲームを作るような時代ではなくってきているというベクトルもある。ネットブックとか別にそれほど欲しくないけど(というより、それはモバイルデバイスの進化を待てばいいんじゃない?と思っている)、やっと要求の上限が見え始めたんだなというのはビシビシ感じる。テレビ見ないけど、見るならワンセグでも充分とか、そんな風になる、なるよなぁ。ハイビジョンでなくてもいいよ、みたいな。つかさ、メディアなんて本質的にはすべて二次情報なんだから、二次情報のクオリティなんてどうでもいいじゃん、って昔から思っているんだよな。Jpegの画質劣化とか、オーディオの再生クオリティとかどうでもいい。そこに必要なのは自分以外の誰かが一次情報を得て発信したということこそがリアルなんであって、それが他人に伝わるためには、物凄い低い品質であっても充分なのだ。おお、なんかいいこと言った気分。

08:05
それでも綺麗な方が嬉しいでしょ?
と、問われればイエスだ。
しかし、綺麗じゃないと悲しいでしょ?
と、問われればノーだ。

コンピュータ環境のインフラ(って去年ぐらいに覚えたが、基盤、みたいな意味の言葉でしょ?何でこんな使い慣れない言葉を使うかといえばそれは振り回されていることの表現だからです、って言うのは嘘で、そう言うとスマートに言えるからです、っていうのも嘘で、言ってみたかったからです、っていうのはちょっとホントだけど、使わないと言いにくいようなことがあると思ったからです、っていうのも気持ちホントだけど、どうでもいいです、っていうのは嘘だな)整備に振り回されてます。とっても非生産的なのに、そういうところにも楽しみはあったりしちゃう。でもやっぱりすぐにウンザリ。

近頃忘れたいことがいっぱい。

■去年の年末に個展をやったヴァニラ画廊がフリーペーパーを発行することになって、そこに短いけどエッセイを書きました。連載にしてくださいと言われているけど、文章をこういう形で提供する経験が今まで無かったのであまり自信がない。まあ成り行き次第かな。内容はいつもここで書いているようなことです。たぶん画廊に行けばもらえると思うので欲しい人はどうぞ。

■おとといテレビを見ていたらダーウィンの番組をやっていてその中に出てきたファンシーピジョンというのが面白かった。金魚とか犬みたいに配合を繰り返して作った鳩です。金魚や犬は見慣れてしまっているけど、これって要するに畸形を作り出して畸形同士を交配させることで種として定着させるわけで、いわゆるペットとか家畜の不気味さみたいなものが見慣れていない分新鮮に感じられる。しかしこれらの人工的な変異種も遺伝子の可能性の一部分であることには変わりが無いということを考えるともっと驚く。ランチュウが自然発生的に定着するという可能性だって絶対に無いとは言い切れないわけだ。ランチュウに住みやすい、いやむしとランチュウで無ければ生き残れないランチュウ的世界。そのような世界では水が赤かったり、まっすぐ泳げないことが必要だったり、肉垂れが性的アプローチだったりするんだろう。

■ウチのアクセス解析からマックユーザーが減ってきている。元々このサイトはマックを使っている人が異常に多く見に来ていて、なんと全体の25%がマックユーザーだった。有り得ない数字です。ところがそれが今は15%ぐらいになっている。これでも充分多いわけですが、マックはどんどん少数派への道を歩んでいるというのはどうも確かみたいだ。別にマックが絶滅したところでかまわないんだが、ひとつしか選択肢が無い状況というのはまったく好ましくない。Linuxでもなんでもいいから対抗勢力にはなんとしても頑張ってもらいたい。

■と、今日はなぜか箇条書きの日。ちょっとやってみたかったの。

OS-XをマックのデフォルトOSにしようかと思っているんだけど道のり長そうだなぁ。Windowsはやっと慣れてきて、ヘビーな作業とかはこっちが基本になるんだけど、印刷系の仕事は対応状況がいろいろなのでマックになってしまう。で、この業界ではいまでも標準はOS9なのです。なんでかっていうとフォントと印刷機が対応していて、おいそれとは新しいフォント環境に移れなかったりするのです。でもこれはあくまでもPostscriptフォントの話で、俺の場合は大量の文章を扱うことなんてないので、ほとんどはアウトラインをとってしまったり画像にして入校したりで、OS9にしがみつく理由はそれほどない。

しかしOS-Xが重いんだ、これが。重いといってもアプリの動作とかはむしろ軽い部分もあるんだけど、インターフェースのアニメーションとか表示させたまま移動するウィンドウとかにウチのしょぼいグラフィックカードじゃついていけない感じ。VRAM16MにCPUがG4の400Mhzだもんなぁ。これらをアップグレードしようと思うと、5万から8万ぐらいかかる。しかもWindowsだったら2、3万ぐらいですむようなパーツだ。さらに問題はハードだけじゃなくてメールのデータとかも移動しなくちゃいけない訳だけどこれもさっぱり。マックが快適だったらできればネットはマックに限定したいところなんだけど…

それにしても印刷業界の今後の標準はどうなっていくんだろう。PDFで入校なんてスタイルも出てきているみたいだけど、いまいち見えないな。

MacOS-Xで初めていろいろやってみた。いろいろ文句は言っていたけど、慣れればなんだって一緒だ。でも三つも四つもOSをいじっているとめんどくさいったらありゃしない。頭混乱するし。ミスタイプ増えるし、ショートカット間違えまくるし。キーボード二つもいらねぇよ!ってほんなげたくなる。

ま、いいんだわさ。OS-Xは新しいだけあってよく考えられているのだよさ。仕組みが分かりにくくなりやがって、そのおかげでフリーズしにくくなりやがりまして、インターフェイスデザインとしてはWin野郎共が真似したくなるぐらいにはやっぱり洗練されてもいるんだわさわさ。オラのXPですくとっぷだってまるでまっきんとっすだがな。あんだ、もんぐあっが?

Windowsマシンにフリーソフトを入れまくっている。ランチャにOrchis(メチャ使いやすい。でも安定させるにはちょっと設定に工夫がいる)。HTML用にHTML Project2(まだ使っていない)。フォント管理に「フォントインストーラーSAKURA」(仮インストールができてとても便利。でもファイル数が多すぎると落ちるので、60個ぐらいのフォルダに分ける必要がある)。デスクトップのカスタマイズにShellWM(これは日本語版。スキンのページはこことか)。リッピングツールにDVDshrink(タダでこんなこと出来ちゃっていいのか?)。映像用プレイヤーにZoomPlayer(WindowsMediaPlayerはあまり使いたくない)。他にもタブブラウザやらセキュリティ関係やらで細々といくつか入れている。しかもここに書いたもの以外にもお試しで入れてアンインストールしたのも相当あるから、かなり落としまくっていることになる。俺も好きだなぁ、とは思うけど、どうにもやりはじめるとサルになってしまう。

しかしマックのパクリが多い。前に筐体の話を書いたけど、デスクトップもパクリだらけだ。てなことを言いながら気が付くと自分のデスクトップもマックライクになっていたりして…

まだ完全に直ったわけではないのですが、ネットはとりあえずつなげるようになってます。「ありゃりゃ」と思いつつ気にかけてくれた方々、メールや手紙をくれた方々(とても嬉しかったです)、どうもご心配をおかけしました。ありがとう。

そんで被害状況はというと、
iMac→死亡(アルマイーターはまだ当分更新されないかも)
これはマザーの交換で直りそうなんだけど、マックの場合パーツが高いのでおいそれと修理にも出せず、安い中古を買ってきて合体させるという手もあるんだけど手間をかけて直すほどの性能でもないので、データだけ救い出して別なマシンにするかも。

ADSLモデム→死亡
交換して復旧

ルータ→ポートが2口使用不能
交換予定

Windows一号機→死亡→復活!
マザーボードの交換だけで生き返った。これはほっとした。

PowerMacG4(メインマシン)→怪しい
とりあえずは動いているんだけど、どうにも動作が怪しいのです。このマシンはないと困るので直さないといけないんだけど、不具合が特定できてない。バックアップだけはとってあるのでデータは大丈夫なんですが。

そんなわけで雷は怖いです。空は光っていたけど音がぜんぜんしない状況でいきなりですからコンセント抜いている暇もない。こんな状況は7年ぐらい使っていて初めて(というより生まれて初めて)なので、めったにあることじゃないんだろうけど、落ちるときには落ちるってことですね。なんでも近くの電柱のトランスに落ちたそうで被害は相当大きかったみたいです。きのうもゴロゴロしていましたが、超敏感になっちゃってビクビクしていました。

そういえばこの雷騒動のおかげでわかったことがひとつ。俺はネットに無駄な時間を使っているなぁってこと。想像以上に委ねていた。もうすこし自覚的にならないと楽しいことなんて起きなくなる。コンピュータが使えなくなったぐらいで、「何もすることがないなぁ」なんて気持ちになってしまうようじゃだめじゃん。

忙しすぎるわけでもなく、夏バテしているわけでもないんだけど、この前作ったマシンが調子悪くて3回もOSを再インストールしたり(おかげでやっと落ちついてくれたみたい。それがつい昨日のこと。よく知りもしないくせにあれこれ試すからいけないんだけど)、DVDやMP3が貯め込めるようになったのでせっせと整理やコピーをしていたり、なぜかこの一ヶ月ぐらい飲み会が集中していたりと、なかなか作る方のモードに入れないでいます。Windowsマシンを組んでからもう一ヶ月ぐらい経つというのに困ったもんです。

ところで前にも書いたキネガワ堂のお休みですが8月19日から一週間ぐらいを予定しています。その間はメールの返事や入金確認などもできなくなるので、注文しようと思っている人はそのつもりでよろしくお願いします。

040803.jpgこの間何をやっていたかというと、チムリク用にWindowsマシンをもう一台組み立てたり、8年ぐらい使い続けてきたMacintoshがそれに嫉妬したのかついにぶっ壊れてしまい、そいつをもう一台合体させて修理したり、とにかくコンピュータばっかりいじっていたのです。もう当分は触りたくないやってぐらい。くそ暑いのにいったいなにをやっているんでしょうか。

写真はウシアブの頭。
よく山のほうでは見るやつだけど、ウチの周りでは見たことなかったのに、今年はなぜかたくさん見かける。眼の間から針が出ているのがわかると思うけどこれでチクっとやって体液を吸うイヤなやつ。

画像ビューアーをいろいろ探していた。ウチのマシンには、テクスチャから生物画像から自分で撮った写真から、もちろん自分で描いた絵からエロ画像まで何万枚という画像が溜め込んであって、これらがさっと探せないととても不便なのだ。

マックのときはiViewMediaというライティングソフトを買ったときにオマケで付いてきたものを使っていたんだけど、これにはカタログ保存機能というのがあって、一度表示させたものをファイルとして保存するので、どんなに大量のファイルでもあっという間に表示できてとても使いやすかった。

というわけでウィンドウズでもいいのはないかと探してみたのです。
ありました。しかもタダ。
Vixというソフト。ほぼ同じことができるしカスタマイズもいろいろ可能。動作もかなり軽い。プラグインを入れるとサポートされる拡張子を増やすこともできるし、デフォルトのままでもムービーを含めかなりの種類のファイルを読み込むことができる。さすがPCワールド。

もうひとつ見つけたのはApViewer ver1.76というやつ。こちらは機能的には多少劣るけど、さらに動作が軽い。しかもレジストリをいじらないので安心。基本的な画像形式しかないのなら、こっちのほうが使いやすいかも。

前にThe Gimpという画像処理ソフトを見つけたときあまりにもすごいのでも驚いたけど、こういうソフトやなんかがタダでゴロゴロしている世界というのは、やっぱり面白い。つぶれたオモチャ会社の倉庫を漁っているような気持ちになる。いや、つぶれちゃいないですね。つうか開発中だったりすることの方が多いから、持ち出し自由の研究室といった方がいいかもしれない。こういうのを見ていると俺もちょっとは貢献しないとなぁなんて思うのです。

延々とマックからウィンドウズに移行したファイルに拡張子を追加していました。腱鞘炎になりそうです。なのにまだ終わってねぇや。やんなっちゃう。環境変えるのって大変。やっているときにはこんなにむなしい作業はないんだけど、やらないことにはなんにもできないしさ。でもあとちょっとかな。あんまりつまらないんで、つい違うこともやってしまうんだよね、これが。もうちょっと涼しければな、って夏に失礼じゃんか。これからしっかり付きあってやるからもうちょっと待ってろやい!って感じだ。

私家版サイトの方にも書きましたが、ウチで使っているプリンタ(EPSON PM-4000PX)がメンテナンスのために7/21頃まで使えなくなることになりました。なのでプリントサンプルなどの注文もプリンタが帰ってくるまでは控えてくれるようにお願いします。

メンテナンスが必要になった原因は初期不良でポンプユニットの無償交換をしてもらうのです。今まではだましだまし使っていたのですが、いよいよどうにもならなくなったので病院送りとなったわけです。暑いのもよくないらしい。人間はクーラー無しでもやっていけるぜ、とかいきがっていても、機械にはそれは通じないわな、やっぱり。

このプリンタ、かれこれ2年ぐらい使っていますが、よく働いています。ぜひ元気になって戻ってきてもらいたい。いろいろクセがあって、必ずしも使いやすいとは言えないんだけど、まだまだ他のプリンタじゃできないことがあってお気に入りです。

マックにOS-Xを入れた。びっくらこいた。なにが驚いたって、ウィンドウズのお友達だったってことだ。余計なソフトを入れないとインストールが終わらないし、基本的なものは全部先読み。無駄に重くて時間ばかりかかる。なんだ、っていうか、がっかり、っていうか、ねぇ。そんなものなんだね。世の中ロックが足りない、とかくだらないことがいいたくなってしまう。別に古くて不便な環境が欲しい訳じゃない。便利にだっていろいろある訳で、わかりやすい便利こそが大事だと思っているだけだ。タッチしなくていいことが増えるほど便利の陰に隠れた依存が増大していく。その事実から目をそらしたくないんだ。でも便利は好きです。子供になったように気持ちになる。でもその子供は大人になりたいから便利に走る。そこを無視しちゃいけない。微妙だけどね。でもでも、この微妙さこそが肝です。なににおいても。ほんとだってば。

あづいよぉ。あんまり暑いので汗だくになりながらカレー作ってしまった。羊入り。ウマウマ。

ところで今Macで装丁の仕事をしながらWindowsマシンをいじりまくっています。まだ全然ちゃんと使うところまではいっていないんだけど、なんとかなりそうな感じです。結構速いので絵を描くのは全部そっちに移行しようかと思っているんです。ただあまりに環境が違うので普通に作品に集中できるようになるにはもうちょっと時間がかかりそうな感じです。ソフトもいろいろ入れちゃってるし、あちこちいじるだけでもあっというまに時間が過ぎてしまう。まあ最初なんてそんなものですよね。充分に遊ばないとなんにも覚えないし。

しかしこういうことをやっていると、作品作ったりするのはどっかうわの空になってしまう。振り回されるっていうか。このNEWSでさえそんな感じ。はやいところ慣れて落ちつかなきゃ。

一日新しいWindowsマシンを作ってました。で、もちろんNEWマシンからの書き込みです。最初はうまくいかなくて途方にくれましたが、なんとか基本セットアップ完了。フォトショップとかはまだ入れてないんですがタブレットは動くようにしたので絵は少し描いてみた。結構早いかも。あとはMacとWindowsの切り替え気も導入しなくちゃならないし、一番厄介なファイル共有も出来るようにしなくちゃだめだ。MacがOS-Xだったら問題ないみたいなんだけど、9も使うので頭が痛い。ネットワークストレージっていう便利なものがあるらしいんだけど、結構高いんだよね。

でも久々の機械いじりで楽しかった。変なかっこしてやっていたから腰が痛いや。

なんかPCの話しばっかりで、なんでかホント申し訳ない気持ちになってしまう。「サクバさんそんなのどうでもいいから絵でも描いてよ」、って思ってる人が少なからずいるんじゃないだろうか。

だってもう昨日はパーツをドッチャリ買い込んできて、明日はケースを買ってこようッてんだから、もう頭の中はそれしかないわけですよ。基盤の配置はどうなってんだとかBIOSの設定なんてまともに出来るだろうかとか、高校受験を翌日に控えた中学生の如くグルグルしちゃってるわけです。いやどっちかつうとサンダーバード秘密基地のプラモデルを買った小学生の方が近いかもしれない。でも作業自体はネジを30本ぐらい締めるだけなので、自転車を組むよりずっとずっと簡単です。きっと。ドライバを入れたりその他の設定をするのは面倒ぽいけど。まともに動いてくれるといいなぁ。

Macしか使ったことがなかった男がWindowsユーザーになるための探検がまだ進行中。プレゼント企画も平行しているけど、二の次になっているっぽい。ごめんなさい。

どうも新しいことを始めようとすると、興味が続く限りは抜けられなくなるところがある。しっかり手に入れて熱が冷めてしまえばすっかり忘れてしまうんだけど、興味が続いている最中は自分でもコントロールが効かなくなる。

でも事前に準備するのって実はかなり苦手なんです。というより「準備」には大して興味がない。だから用意周到ってわけじゃないんだと思うんだよね。知らないことが出てくるたんびにそれを制覇していくのが面白いだけで、それが無くなった時点で満足する。で、あとは実践あるのみという感じになる。お得な買い物よりも、何を買おうとしているのかを分かりたいっていうか、どんな知らないことが待っているのかを実感したいというか、そんな感じ。かなり終点は見えてきたので探検も終わりに近いかも。

コンピュータってごく一部の研究者やヘビーユーザのクリエータを除くと、あとは使い道が見いだせないようなごく普通の生活をしている人達がメインの消費者としていて、その大多数の人達は結局のところ家電の延長としての装置を求めているに過ぎないんだなぁということがよくわかった。そこでのハイエンドマシンの使い道といったら、3DゲームをやるかTVやビデオのエンコードをするぐらいしか使い道が無くて、逆にそこでハイスペックを要求されるほどアイデンティティが確立されていくようなマゾヒスティックな快感幻想が得られるという、よくある消費原理によって成立しているのが今のコンピュータ市場だ。

こういうことに批判的になっていたのは昔の話しで、今はそれもいいんじゃないかと普通に思えるのだけど、しかし実際のところ100万や200万は平気で使うわけですよ。ゲームのために。あるいはTVの録画のために。正確に言えばゲームを通したアイデンティティの確立のためだけど、まあ一緒です。でもコンピュータに限らず、バイクだってオーディオだって、本道楽だって、ファッションだって、全部一緒なので人の事なんて言えたもんじゃないのです。自分はそういうマニアだという自覚はまるでないし、実際そこまではまるようなこともないんだけど、俺の場合は仕事がそれらと区別が出来ないようなところもあるので、気持ちはよくわかるんです。でも、出来ることなら、せめて他人の作ったものじゃないもので遊ぶためにそれらがあったらどれほどいいかと思うわけですが、それは無理な相談なんだろうな。

一日中ネットでPCのパーツ選びをしてたら疲れてしまった。BBSの方に買おうかと思っているリストを貼ったけど、ちょっと高いなぁ。もう1ランク落とすかも。

きのう、いざPCをゲットするぜ!と秋葉原に行ったのだが、結局買ってきたのは今あるMac用のメモリやら拡張カードだった。Macは印刷仕事には欠かせないので、こっちはこっちでそれなりにしておきたいというのもあって、買うつもりではいたのさ。で、PCの方は中身のプランはほぼ決まって、後はがわだけだなぁ、と思って、いいのがあったら即決のつもりだったんだが、めげて帰ってきたというわけ。もう悩みたくないので通販で買うかなぁ。見に行くと逆に決められないかもだよ。何だっていいとか言っておきながら、ごねているアホなやつ。

ちょっと前にも書いたけど、Windowsのマシンを手に入れようと思っている。理由は、ネットに関わったり、モノを売ろうと思ったりすると、どうしたってWindows環境がないと不便すぎるからだ。[ru]を作るときもそうだったし、ガラージュ私家版を作るときもイヤって程思い知らされた。それがなければ何も考えずにG5買ってます。出来ることなら触りたくないぐらいです。でもまあそれは良し。とにかく手に入れることに決めたのよ。

ものは出来合いでも自作でも何でもいいんだけど、なんでPCのケースっていうのはあんなに幼いデザインばかりなんだ?もうちっとやりようはあるだろうって気がするんだけど、どれもこれもそそられないこと甚だしい。せっかく買うんだからもっと物欲を刺激して欲しいのに、全然ダメじゃん。別にMacを祭り上げるつもりはないんだけど、G5とかはいい線行っているし、努力してるなぁと思うのよ。

しかしコンピュータに関しては最初から物欲とは無縁なところで始まっていて、カッコに関しては全く期待しない付き合いしかなかったんだよなぁ。いくら不本意でも選択肢がないんだから諦めるしかないという。でも、これだけいろんな人が自分でPCを組むようになって、好きな入れ物が選べるというのに今のラインナップは非道すぎると思うよ。マジで。こういう時につい自分で考えたくなる悪い癖があるんだが、今回ばかりはやりません。所詮PCだよ。使えりゃいいのさ。


話は変わるけど、気が付けば[ru]も2年目に突入していて、ガラージュも自分的には大成功で、お礼の気持ちもこめてプレゼント企画でもやろうかと思ってます。で、前回の時もそうだったんだけど、悩むのが抽選方法なんです。前回は普通に番号札を入れた箱を作って抽選したんだけど、もっと参加の要素があったりするような面白い抽選方法はないんだろうか。知ってる人いたらぜひ教えてください。

BBSの方にも書いたんだけど、きのう(二つ前)の解像度やらのデジタルデータの話、あれってどれぐらいになったら自分的に許せる範囲に収まるかというと、たぶん4800万画素(8000x6000pixel。容量にして最低で137MB、印刷データを基準にしたプリントサイズで65cmぐらい)ぐらいのデータが、ストレス無く描写できて(負荷の高い凝ったブラシでも)、ハードディスクの容量も気にすることなく保存できて、しかもそれが16bitで(たぶんみんな8bitで描いていると思うのだけど、これって何を表しているかというと1dotに割り当てられる色数が8と16では違っていて、当然16bitで描いた方が色数が増える分表現は豊かになるんだけど、ファイルサイズ的には二倍(4倍だったかな...記憶曖昧)ぐらいになってしまうのです。デジカメでいうところのCCDサイズにちょっと似ている)作れるのなら、とりあえずはくだらないことを気にしないで描けるかなぁという感じはするのです。

このぐらいだった許せると思うことの基準はいくつかあるのだけど、一つには写真との関係がある。どんなにショボくても大判フィルムよりは情報を保持したデータであって欲しい。別にデータサイズが小さいからといって作品の価値が左右されとはこれっぽっちも思わないけど、大きさなんて気にしたくないということで、それぐらいは欲しい。そしてもう一つは、作品の内容が大きさを要求するということはやっぱりあるわけで、そこで悩むようにはありたくない。

たぶんこれは現状では相当な高望みだということは分かっている。でもいずれそうなる。絶対になる。早いとこなって欲しい。カメラもスキャナもネットの通信スピードもハードディスクもタブレットもそしてもちろんコンピュータそのものの進化も必要だから、それなりに時間は掛かるけど、いずれはそんなことはブラウザの中でさえ当たり前になるような時が来るはずなんだから。

16:04
一つ前に書いたような話って、ほんとにそんなことが起きるときには、絵描きの話だけには収まらないような変化が起きているものだ。たとえばセキュリティ、著作権の概念、世界的な規模でのネットワーク上での金の動き方とそのシステム、コミュニケーションの在り方、ネットの社会的影響力、その他諸々の変化をもたらすようにその変化はやってくる。じゃなかったら、そのような変化をもたらす引き金になる。だからどうだってわけじゃない。それぐらいの力があるってだけの話で、それぐらいの力でどれぐらいのものが動くのかって話で、まあ、なんていうか、つまらない話だ。ああ、つまらない。こんなことを書こうと思った自分がつまらない。でも、こういうことをつまらないと言い切れるようには生きていないということも事実だ。

コンピュータで絵を描いていて、それを印刷にまわしたリプリントアウトしたいと思っている人のために、個展の時に分かったことを書いておきます。

まず普通印刷データとして渡す原稿は300-600dpiぐらいのデータを入稿します。このdpiというのはフォトショップなどでいうところの画像解像度というやつで、dpiの意味はdot per inchi、つまり1インチにいくつのドット(=ピクセル、同じ意味)を詰め込むかということです。この1ドットがデータの最小単位で、それが1インチの中にたくさん入っているほど細密な表現が可能になる。600dpiなんていうのは超高級印刷で、通常はあまり使われません。普通は300?350dpiです。言ってみれば安いテレビとハイビジョンテレビの違いみたいなものです。そしてこの解像度はどのように決まっているかというとオフセット印刷の原版を作るためのスキャニングの解像度の2倍を想定して決まっているのです。つまりデータを取り込むときにデジタルデータ特有のドットを拾わないで滑らかな表現を可能にするために、実際の解像度の二倍のデータを入稿しているというわけです。300dpiのデータを入稿しているということは、実際には150dpiの解像度でデータが読みとられているということです。ここまでが印刷の基本。そしてここから先が分かったことです。

プリントアウトの場合には印刷のことは考える必要はありません。出力されたデータが全てです。ぼくがやったのは全てマット紙でしたが、どんな紙であれそれがマット紙である場合には150?200dpiもあれば充分に綺麗な出力結果を得ることが出来ます。これはどういうことかというと、例えば印刷用にA4サイズで描いていた絵であればA3サイズでも充分行けるということです。反射原稿(出力したものを印刷データとして入稿すること)として出すのであればたとえデジタルデータとして小さすぎるデータであったとしても二倍ぐらいのサイズの原稿として入稿できるというわけです。これが写真専用紙などの光沢紙などになってくると事情が少し変わります。光沢紙の方がより精細にディテールを表現することが可能になるからです。その場合にはサイズが少し小さくなる。蛇足ですが光沢紙よりもマット紙の方が色褪せなどの画質の劣化が少ないということは覚えておくといいです。ディテールの表現では劣るけど、紙の表面に起伏あってインクが吸い込まれる分、酸化の影響を受けにくくなります。

次に小さなデータを思いっきり引き延ばした場合にどうなるか。まず、アプリケーション上で画像解像度をそのまま上げてデータサイズを上げた場合には、ドットが見えるようになるわけではなくて、ぼやけたような表現になります。これはアプリケーション側で画像を補完してくれるからです。でもアンチエイリアス(ドットをドット自体が見えないように周りのドットをグラデーション的に色変換処理することで、ぼかしたような効果にすること)が掛からないようなデータはそのままドットが拡大された効果になる。そしてこのようにぼやけたような表現になったときには、見栄えのするデータ(無理矢理大きくしたように感じさせない表現)とそうじゃない表現があるようです。一言でいってエッジの処理が明確な表現は見栄えがする。それとこれは想像だけど、元からぼけたような表現もあまり影響を受けない。中途半端なのが一番影響を受けやすい。よく街の巨大看板とかを間近で見るとこんなに粗いんだと思うことがあるかもしれないけど、だいたいはそんな感じです。この辺は写真をやっている人ならよくわかると思うけど35mmフィルムのネガを全紙に引き延ばしたような感じが一番近い。

現在のパーソナルコンピュータの性能だと、かなりイイものを使っていても気持ちよく描けるのはせいぜい長手で6000pixelぐらいでしょう。ちょっと無理をしても8000pixelとか。レイヤーをたくさん使う人だとこの数字はもっと下がる。ウチのマシンだと4000でもちょっと嫌になる。これって印刷データとして考えるとA3かB3サイズ、プリントアウトでもその二倍。ということは10分で描くようなラクガキがこの限界サイズぐらいで描けるようになるには、もうちょっと時間が掛かるということです。ましてや100号(長手で160cmぐらい)とかのサイズでやろうと思ったら、当分はベジェでやるしかない。ちょっと前のことを考えれば信じられないぐらい快適になったけど、まだその程度なんですね。といっても今出来ることの可能性を限界の中で考えるのは、それはそれで面白かったりもするんですが。

なんか最近ソフトとかを立ち上げるのが面倒だ。遅すぎるんだもん。マックとかも新しいのを出したけど、64bitとか言ってないで64000bitぐらいのをさっさと出して欲しいと思っちゃう。G5じゃなくてG500ぐらいにならんものだろうか。

なんだかんだ言ってアナログは最強だ。
あたりまえなんだ。デジタルは限りなくアナログに近づくことを目指しているわけだから。でもアナログの通信範囲はとても狭いので遠い人や沢山の人と通信しようと思ったら、自分が出向いて行くしかない。逆に言えばそういう人と通信をしようとしないんだったら、デジタルの意味って全くないんじゃないだろうか。

ん?、でも情報量が少ないがゆえの違和感を楽しむっていう変態的リアリティはあるな。ボンデージや目隠しみたいな。それと情報量が少ないがゆえの万能感を楽しむという情けない楽しみ方もある。話ぶっ飛ぶけど、所詮表現ってものは情報の限定の上に成り立っているものだし、情報の限定がなかったらリアリティもクソもない。

ああ、ちょっとわかってきた。たぶん今は表現と通信がごっちゃになってるんだ。情報が遅いせいで。通信が表現の本質だって立場もあるけど、それはここでは無意味だ。まず表現のための対自己的スピードが遅い。それと同時に通信のための対他的スピードが遅い。この結果なにが起きるかと言えば対他的行為に対自己的行為が混じることになり、二つの境界が曖昧になるんだ。面白い。

たぶん充分に速くなっちゃえば、もっと普通になってしまうような気がする。ハレとケがはっきり分かれるようになる、だろうか...まあ、どっちでもいいんだけど、ほんとは。それでもとにかくマシンが遅いのはかったるいのだ。

まだフォトショップをいじってます。それしかやっていないんでそれを書きます。

なんかブラシのことばかり書いているけど、かなりペインターを意識したバージョンアップだったんだね。おかげでだいぶ絵が描きやすくなった。早く描いたときの筆跡も滑らかになったし、カスタマイズの自由度も上がった。反映の速度も上がったからストレスも少なくなった。これでペインターを試していた理由はほとんど解消されことになる。自分的にはかなり嬉しいです。

コンピュータで絵を描くのって、やっぱりまだ相当過渡期なんだろうって気がする。なんといっても処理速度がアナログで絵を描くときのスピードに全然追いついていない。厳密には追いつくことはないんだろうとも思う。だって絵の具で絵を描いていたら、3Dデータとして絵の具が蓄積されていくわけで、そのうえ手で触ったときの柔らかさや硬さ、湿り具合、さらには匂いまでが情報量として含まれている。そんなことまで考えてしまうと、それだけの情報を処理するなんてことは絶対不可能だし、意味もないことだと思えてしまう。

結局の所デジタルの魅力は複製と単純化に尽きると思う。言葉が対象を限定することによって初めて成り立つように、デジタルも映像を単純化し記号化し複製可能な物にすることによって流通の可能性とコミュニケーションツールとしての可能性を開こうとしているんじゃないだろうか。と、そんなことをいってもより多くのデータを扱えるようになるための進化は止まらないし、それを喜ぶ自分はいるわけだけど、それでも基本はそこにあるんじゃないかと思えてならない。

初めてファミコンをやったときにテレビの中のキャラクターがコントローラーの操作で動くことにすごく感動した。十字キーを動かしているだけで楽しかったもんだ。端折っちゃうけど、それと同じなんだって気がする。基本はそこにある。絵を描いているんじゃない。シミュレートしているんだ。だけど絵を描くこと自体がシミュレートだとも言える。その通り。確かに。でもそこには違いがある。水や油や鉱物を使う代わりに計算によって光の具合を制御するってのはシミュレートの次元が違う。

よくわかんなくなってきちゃったけど、コンピュータで絵を描くってのは、カメラで写真を撮るような、あるフィルタを通したもんだって気がするんだ。そしてそういうやり方には、そういうやり方に相応しい表現形式があるんだよ、たぶん。

030614.jpgコンピュータとの距離を適正に保つためにモニタを明るくして、スタンドの電気をいつも点けるようにしてみた。モニタだけが明るいとその中にしか世界がないような気がしてしまう。だから部屋の明るさとモニタの明るさが同じぐらいになるようにしてみたの。少しは効果があるみたい。机の上のものとモニタの中のものが同じ明るさで見えるといい具合に気が散る。

しかし消えているモニタって好きになれないな。テレビも同じ。不気味だし、すごく無駄な感じがイヤだ。いっそのこと点けっぱなしにして、そういうものとして付き合うとかね。電気代は無駄だけど、本来そういうものとして使うものなんじゃないかと思っちゃう程ヘンナモノだ。

初めてコンピュータを意識したのは10年ぐらい前のことです。たまたまキャノンに勤めている知り合いの人がいてマッキントッシュに触らせてもらった。その時の一番の興味はカラーコピーだったのだけど、画像補正するためにマックが接続されていたのです。ちょうどカラーコピーが一般化し始めた頃で値段は300万円ぐらいだった。僕はスキャナーとしてのカラーコピーの威力を試してみたくて、自分で作った人形とかシダの葉っぱとか花とか流木を持参していそいそと出かけていったのです。コピー機の上でジオラマ風に素材を並べコピーを取る。そして次の瞬間には並べたイメージがプリントとして吐き出される。とんでもなく興奮してサルのように繰り返したものです。そしてそこに当時1000万ぐらいするシステムとしてコンピュータが接続されていたのです。しっかりフォトショップがインストールさていて、自分のスキャニングしたイメージをいじくり回した日には、興奮しまくりのお祭り状態になってしまったのは言うまでもありません。

今や200GBのストレージが普通にお安い値段で買える時代。あれからたった10年です。そんでもってこの調子であと10年ぐらい経つとテラバイトのハードディスク付き入出力通信機器(ビデオカメラとカメラとレコーダーとムービープレイヤーと音声プレイヤーと電話が合体した奴)が当たり前になって小学生が誕生日にトイザラスに行っておねだりするようになるんだね。なるんだよ。それが20年後だろうと5年後だろうと、とにかくそうなるのよ。

そんでここからが本題。

それがいったい何なのでしょ?

これは未来の話じゃない。今の話です。SFなんかじゃない。ISDNとADSLの違い程度のちょっとした違いに過ぎない。もっと言ってしまえば蒸気機関と内燃機関程度の「ちょっとした」違いに過ぎない。未来は全てここにある。未来にならないと手に入らないものなんてない。未来にならないと手に入らないものは、たぶん、もっと別の場所にある。それはおそらく体が成長したり、歳をとったりすることです。内側の未来。内側の未来だけがリアルを規定する。でも僕は外側の未来幻想に向かう欲望を否定しない。何故ならそれに振り回されているから。精算はしたいけど、強引に精算するのは嘘つきです。そういう嘘は一番嫌い。精算は出来るときにするべきだと思う。

デジタルという手法は哲学的です。認識という名の社会性の外在化としては、曖昧さを許さないという点においてとても面白い。幻想が入る余地がないのです。そこには単純であるが故のピュアなパワーを感じる。なんだか偉そうなことをいってるけど、とにかく自分の気持ちとしては夢の終わりが見たいのです。「夢」から解放されたい。「夢」を見るのを止めたい。でも愚かに「夢」否定したら、永遠に「夢」から覚めることが出来ないことだけははっきりしています。夢の終わりは夢の中で起きた気になることではなく、ほんとの「目覚め」によってしか実現しない。しかし嘘吐きでないように目覚めるのは思ったよりも難しいみたいです。

ちゃんと書いたことはなかったけど、ウチのマシンはMacです。別に大したコダワリがあったわけではないんだけど、たまたま出版業界の主流がMacだったりとか,ウィンドウズはなんかカッコ悪そうという先入観とかがあってMacにしたわけです。気がつけば5年、そこそこ何でも出来るようになってだいたいのトラブルにも対処できるようになりました。

ところがこのところなんだかウィンドウズづいていて、腹をくくらなくてはいけないような感じになってきてしまいました。
問題の発端は3Dソフト、今3Dをやろうとしたら主流は間違いなくウィンドウズです。Mac用のバージョンもそれなりにでてたりするけど、バージョンアップが遅かったりして、開発側もどうもなげやりな感じだったりします。

もう一つの問題はこのインターネットというやつ。
これはもう「ウィンドウズじゃないやつはネットに繋ぐな」ぐらいの勢いを感じます。最悪の場合はFlashなどのプラグインに走るという道も残されていますが、普通に自分でタグを打ってたりすると、両方の環境で同じようにみられるようにするには一苦労も二苦労もしなくてはなりません。
Macで見られればいいじゃんという考えもありますが、それは世の中の9割以上の人を無視するということを意味するわけです。

で、ほんとの問題はここから。
これらのこともウィンドウズ環境が優れた環境であると認められればそれほど問題にはならないんです。別にMacフェチというわけじゃないし。でもいざさわり始めてみると全然優れている部分が見つけられなくてとても腹が立ってきます。一言でいうと「要らぬお世話」が多すぎるということです。
この「要らぬお世話」のためにどれだけのプログラムが組み込まれているかを思うと、呆れるのを通り越して悲しくなってきます。
たぶんウィンドウズ(というよりマイクロソフト製品全般)の設計理念の中には「どんな人がやっても同じ結果が得られること」というのが相当重要な要素として入っていると思うのですが、僕はそれに一体どんな価値があるのかと考え込んでしまいます。これじゃ自分から進んでライン生産のベルトコンベアーの前に立つようなものです。コンピュータの面白さは「これを使ったら何が出来るんだろう」ということに尽きると思うし、そもそも道具というのは全てそういうものです。

でもこのウィンドウズの戦略が商売として有効だというのはわかっています。さらにいうと、僕が腹を立てているのは、それを有効にしている世間に対してなんだということも自覚しています。

だから使いますよ、ウィンドウズ。
腹が立ってるわけですしね。相手に伝えるためには同じ土俵に立たないと伝えることもできないじゃないですか。
それと誤解の無いよう付け加えておくと、これは決してMac礼賛の文章ではありません。そんなことどうでもいいんです。どっちの味方をするつもりもありません。僕は自分が快適だと思えるような制作環境が欲しいだけです。
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2:27 22日の追伸

そういえば今日初めて蝉が鳴きました。

ニイニイゼミ

早すぎねぇか?

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