ru:Tag=[Maze]

とりあえずこのまま進むしかないと思った。引き返すにはあまりにも長い距離を進みすぎてしまったような気がする。元はといえば俺が安請け合いしたのがいけなかったのだ。しかしどう考えたって馬鹿げている。こんなところに誰もいるわけ無いじゃないか。ここは高速道路の「中」なんだぜ。高速道路の中を電線が走っていて、それの保守のために造られた通路なんだ。壁の両脇には直径10センチぐらいの電線が10本ぐらい束ねられているけど、さっきからずっと真っ暗な状態が続いていて方向感覚も時間の感覚もおかしくなり始めている。たぶん5キロぐらいは進んだはずだが、それも定かじゃない。天井は低く腰をかがめないと頭を擦ってしまう。しかし入口があってこれだけ長い通路な訳だから、次の出口だってそう遠いはずはない。それになにか口実が欲しかったのだ。たとえそこで外に出られなくても、そこまでは行ったんだと自分を納得させられるような場所があれば、俺はせいせいして胸を張っていられるんじゃないかと考えたのだ。

「弟がいなくなっちゃんです。この中に入っていってしまったんだと思うんです。お願いです。探してください」とその女は言ったんだ。まだ高校生ぐらいに見えたけど、実際は二十歳も超えているかもしれない。女の年なんてサッパリだ。胸が丸くて可愛かったんだ。悪いかよ。顔はなんだかよく思い出せない。どんな顔をしていたっけかな。ダメだ。胸しか出てこない。気持ちよさそうな胸だ。なんだよ。揉んじゃ悪いか?どうせただの想像だよ。乳首くらいつねったところで誰にも迷惑なんかかからねぇだろ。それどころか俺の頭の中じゃ女はほっぺたを赤くして喜んでら。ああ、なに考えてんだ。そんな場合じゃないだろが。なんかこの通路さっきから下り坂になってねぇか?そうだ最初は緩い上り坂だったんだ。立ち止まったとたんに天井に頭をぶつけた。クソッ!.........あれ、そういえば車の音が随分静かになってるな。でもなんとなくは聞こえる。ま、そんなこともあるだろ。高速道路の設計者がなにを考えているかなんて、俺には想像できないし、別に判りたくもない。俺は早く次の中継地点まで行って、そこで外に出られりゃラッキーだし、ダメだったらさっさと引き返せばいいんだ。入口には常備灯がついていたから、そこだって電気もついているだろうし、俺はそこで短い冒険の記念に一服でもするさ。あ、そうか、俺、煙草を持っていたんだ。なんで今まで吸おうと思わなかったんだ。早く弟とやらを見つけてあげようとでも思っていたのか?らしくねぇな。ただの下心で引き受けただけなのに。きっと弟はさっさと見つかって、女だってもうトンズラしてるぜ。急に馬鹿らしくなった俺はポケットから煙草とライターを取り出した。でもライターに火を点けたとたん俺は固まってしまった。なんと俺がこれから進もうとしている道がY字型に二手に分かれていたのだ。「ヤバイ」と俺は思った。一瞬なにがヤバイのか自分でも判らなかったが、すぐにそれがなにを意味しているのかが判った。問題は目の前の通路が分岐していることじゃない。これまでに分岐があったかどうかだ。もし鍵の開いている入り口が最初の入口だけだったとしたら俺はどうなるんだ。普通に考えれば、こんな通路を誰でも入れる状態にしておくわけがない。あれは悪ガキが壊したか、たまたま鍵をかけ忘れたんだ。俺はなんとしても最初の入口に戻らなければならないと思った。引き返すんだ、今すぐ。気持ちを落ち着けるために煙草に火を点けて深く吸い込んだ。一時間以上は歩いている。それは確かだ。下手したら2時間ぐらい歩いたかもしれない。ライターは百円ライターだったからずっとつけっぱなしで行くのは無理だろう。熱くなって持っていることが出来ない。ジッポーにしておきゃよかった。しかたない。両側の壁を手探りしながら分岐があったら火を点ける。それで行こう。幸い通路の幅は1メートル50ぐらいで両側の壁を同時に確認することが出来る。片側ずつ確認すんじゃ日が暮れちまう。俺はマルボロを足でもみ消すと両手を広げながら来た通路を戻り始めた。

イヤな予感は見事に的中した。最初の分岐は100メートルも行かない内にあった。だが分岐の方向は逆方向でそっちから来たことは考えられない。しかし俺は頭の中がいきなり焦り始めたのを感じた。必死になって冷静を保とうとしたがさらに100メートルぐらい行ったところで頭の中が一瞬真っ白になってしまった。ライターをつけると俺の行く手は3方向に分岐していたのだ。しかもどの通路から来てもおかしくないぐらい鋭角的な分岐だ。高速道路を利用しているわけだから当たり前なのかもしれないが、俺は心底高速道路が憎くなった。俺は高速道路の設計者になっていればよかった。じゃなかったら高速道路の設計者と親友になっていればよかった。週に一度ぐらいは安い飲み屋に行ってそいつの愚痴を聞いてやるのだ。高速道路の勾配やカーブの半径について、高速道路を利用した電線の敷設と保守について。もし俺にそんな知識があったらこんなところに入ろうとも思わなかっただろう。

俺は自分の暗闇の記憶を辿り、最も自分のカーブの記憶に近いと思われる通路を選んだ。右の通路だ。決めなけりゃ帰ることは出来ないのだ。しかし2?3百メートルほど進んだところで俺は引き返すことにした。もし、もしもこのような通路が無数にあるとしたら、なにか目印が必要だと考えたのだ。俺は三叉路に戻り、そこに煙草を小さくちぎって地面に置いた。こういうのは何かの映画で見たことがある。煙草はあと8本残っていた。ほぼ十等分。80回は目印を付けることが出来る。いくらなんでも充分だろう。ふと外に無事出られて残った最後の一本を吸う自分のイメージが頭に浮かんだ。悪くないと思った。それはきっと物凄く旨いだろう。ほんとに映画みたいじゃないか。でも次の瞬間には煙草が全部使い果たされ、途方に暮れている自分のイメージが頭をよぎった。それはかなり、いや、ほんとに恐いイメージだった。俺は頭を横に振って、笑いそうになった。悪いイメージを追い払うために頭を横に振るのは役者しかやらないことだと思っていたからだ。そして笑いそうになった自分がとても情けなく思えた。

俺はリアルじゃない。なにもリアルに生きてはいなかったんだ。だけどこの通路を彷徨っている自分はリアルなんだろうか。そうとも思えたし、そうじゃないようにも思えた。強烈にその問いに対する答えを欲しがっている自分がいた。リアルってのは老後の設計をしたり、税金を払ったりすることじゃなかったのか?約束の時間に遅れないでデートをしたり、車を買うためにバイトをすることじゃなかったのか?女がイクまで付き合ってあげたり、避妊と病気予防のためにコンドームをつける事じゃなかったのか?そんなモノがリアルじゃないぐらい俺だって知ってるさ。わかってるけど、それはそれでリアルなんだよ。そうすることで俺は美味いもんを食うことが出来るし、女と寝ることが出来る。そうだ、俺は美味いもんが食えて女と寝られる世界に戻りたいんだ。たとえこの状況がリアルだったとしても、それがリアルじゃないと言われるなら、リアルじゃない世界に戻りたいんだよ。こんなところ彷徨い続けるなんてのはまっぴらゴメンなんだよ。

二本目の煙草が無くなった。そして俺は車の音がまったく聞こえなくなっていることに気が付いた。さらに、考えたくない仮定を思いついてしまった。「ここは既に高速道路の中ではないのかもしれない」という仮定だ。いくらなんでも高速道路にこんなに沢山の分かれ道があるというのはどう考えてもおかしいじゃないか。そしてさらに俺は考えてはいけない疑問を持った「ここは一体何処なんだ?」

無性に煙草が吸いたくなった。ここで煙草を吸うのは賢くない選択だ。だけど一度思ってしまうと強迫観念のようにその思いは強くなった。一口でもいいと思ったけど、一口では絶対満足できないことは分かっていた。まっさらな一本に火を点けるのはためらわれたので、フィルターから15ミリぐらいのところで煙草をちぎって火を点け、思い切り深く吸い込んだ。明らかに気持ちが負け始めていた。おそらく来たのと同じ時間ぐらいは移動したはずだが、まったく自信が持てなかった。そして今いる場所は「確かに」来た通路とは違う通路なのだ。煙草に火を点けたことを後悔した。煙草が無くなっことではなく、自分の状況を認識してしまったことに対してだ。それを無視してがむしゃらに探していた方がずっと楽だろうと思えた。

フィルターに火が移るまで吸い、フィルターは箱に戻した。明らかなことはただ一つだ。

「移動しなければ出られない」

俺は分岐点に煙草を置くのは無意味だと思わざるを得なかった。選択肢があまりにも多すぎる。今ならあの三叉路まで戻ることは可能だが、俺が選んだ一本の通路にさえ、全部の煙草を置くに充分な分岐があったのである。どうするべきだろうか?賭けに出たくなった。もう一度あの三叉路まで戻って、も一本の道を試す。ひょっとするとその道は正しい道で分岐もなく一発で戻れる可能性だってないわけではない。それはこれまでに選択してきた決断を全部無駄にする行為だというのは分かっていたが、疲労が、しらみつぶしに選択肢を検証するという意欲を失わせていた。とにかく戻ってみよう。けっきょく、体が分かりやすい変化を渇望していたのだ。

来た道を戻り始めると想像以上に自分の体が疲労していることに気が付いた。中腰に近い姿勢で両手を広げ神経を研ぎ澄ませながら何時間も歩いていたのだ。腕は重く壁を触るのを嫌がり、電線に付着した埃の感触が紙ヤスリの上で指を削っているみたいに敏感に感じられた。足の裏はかかとの骨が出っ張って地面と直接擦れあっているような気がしたし、腰は痺れたようになって鈍痛が居座っていた。なにか考え事をしようと思った。楽しいことを考えたかった。でもそれは無理だということがすぐに分かったので、今度はなにも考えるのは止めようと思った。疲れていることも腕が重いことも感じないようにしよう。すると、不思議なことに頭の中が解放された。

頭の中に緑色の光が現れた。それを意識すると気持ちが少し楽になった。緑色の光はゆっくり上下運動を繰り返し、自分の体もその光と一緒に上下に揺れているような感じがした。頭の中だけに楽しいような気持ちが生まれているのが分かった。時折苦痛が勝つとイメージが一瞬にして色褪せてしまうので苦痛を切り離そうと俺は努力した。そのイメージに集中していさえすれば、なんとか乗り切れるという思いで、すがるように集中を試みた。やがて緑色の光はオレンジ色の光りに変わり、明るい草原の上に軟らかく浮かんだ。光は運動を止めて一点に留まり、ほのかな明滅をするようになった。俺がその光に手を伸ばそうとすると光は消えてしまった。草原は寒々しい荒野に変わり、黒い影が視界の片隅で逃げていった。向き直るとその影はあやふやな輪郭をぶらしながら、誘うように遠ざかっていくのだ。俺にはその影を捕まえることが出来るのが分かっていた。そんな気がしただけなのだが、それは確かなことだった。荒野は丸く、遠くない地平線に消えそうになりながらも影を追うことが出来た。黒かった影は茶色味を帯びてきていた。もうすぐ捕まえることが出来る。と、分かったときには目の前にいた。俺は影の中に入った。影の中は浮遊する光の細胞だった。そして俺はその細胞の一つであることを知った。そしてそこには「全ての人」がいたのだ。弟も、女も。

Powered by Movable Type

Profile

Archive