クソ寝むいのと戦いながら打ってまっす!
そういえぱこの前の携帯で書いたNEWSを家に帰ってから読んだら、自分の文章じゃないみたいで面白かったです。文章がぶつぎれで、まるで左手で描いた絵みたいです。これはこれで変な魅力があるかもと自分で思ってしまいました。
画面の大きさとか改行の位置とか字の大きさとか書体とか入力方法とか、そういうもので文章が変わってしまうなんて面白い。ちゅうか、これって文に限らずなんにでもいえますね。たぶん人格とかにも言える(人格って何?というツッコミはおいといて)。
人間は意思だけで出来ているわけじゃない。
いつもケータイで文を書いている人はやっぱりケータイ的人間に進化していくんだ。借家に住んでいる人は借家的に、コタツな人はコタツ的にエアコンな人はエアコン的にビールな人はビール的に牛乳な人は牛乳的に。ウワー、キリがないや。オジサンびっくりして思わず大リーグボール養成ギブス装着して腕立て伏せをしそうになっちゃいました。そりゃいろんな人が居るわけだわな。
しかし何で俺っていつも当たり前のことに感心してんだろ。
急に発見したような気分になるんだよね。当たり前のことなのに。
(家に帰ってからby Macintoshで校正しました)