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■やっと怪獣が出現(たぶん今日中にもう一枚アップできるはず)。

■来年は50歳だ。
体が無理を聞かなくなることで、初めて賢くなるなれるぐらい馬鹿者だった、ということがやっと最近わかってきた。

ドイツの風車
前に風車の画像を探していた時にはこんなにいいサイトは無かったな。

売春婦の絵
普通の人から募集した「あなたの売春婦のイメージ」を描いた絵を集めている。面白い絵やイイ絵がたくさん。ネタも重要ってことが良く分かる。

Micro Four Thirds System
オリンパスが発表したマイクロフォーサース規格のレンズ交換式デジタル一眼のモックアップ。来年には出るのかな。デジカメはずっと次のやつを待っているんだけど、これはかなり期待。

分業が製造現場から夢を奪った
ケーキ作りの現場(登録してないと読めないかな?大した記事じゃないけど、こういう場所で取り上げられることには意味があると思う)。分業についてはもっと考えたい。

ラバーコスチューム
コスプレとなんも変わらんね。
変身に対する思いはずっと変わらないけど、お遊戯には興味がない。

■身体性という言葉が頭から離れない。
結局それが全てでネックなんじゃないかと思える。身振りや化粧や装飾や言語や記号の手前にあって、それらを生み出す元になる衝動。そこで何かを作らない限りなんの意味も無い。逆に言えば、その衝動が無いなら、どんなものであれ作るべきじゃない。ただのゴミだから。カワイイという衝動には期待する。

いや、お店じゃなくてもいいんだけど、例えばコレクターのお部屋が目指すところはやっぱりお店なんだよなと思うわけで、システムキッチンにびしっと整理された調理器具とか、壮観な食材が詰め込まれた冷蔵庫とか、「見せる収納」とかの理念によって整理された洋服とか、そういうのを見てると、お店だなぁとしみじみしちゃうのだ。

気持ちはとても分かる。駄菓子屋丸ごと欲しかったし、プラモデル屋丸ごと欲しかったし、デパート丸ごと引き出しの中にしまっておきたかったし、遊園地丸ごと屋根の上に載せておきたかったし、このお菓子屋さん、全部地下室に入れおいてね、とか言いたかったし、そんな願望に振り回されるほどにはままならぬ少年時代を送ってきた身としては、とにかく「とても分かる」ことなのだ。

そしてその気持ちと、際限ないほどモテたいとか、賛辞と拍手にまみれてみたいとか、誰もが自分に笑顔を見せてくれるとか、朝起きたらやっぱり出来るんじゃんと思うような才能が身についていたとか、ってことは、全く同じことなんだろうと思う。

でもさ、「それどうすんの?」って思うほど過剰な欲望であることも事実なんだよな。だってそんなに沢山のオブジェクトの面倒を見るのってとってもウザイ。埃かぶるでしょ。腐るでしょ。嘘でしょ。箱の中身見たことないでしょ。そんなに乗り回せないでしょ。

かく言う俺も面倒見切れないほどの本だの金具だの道具だのジャンクフードだのオモチャだのに囲まれて暮らしているわけで、人のことなんて言えたもんじゃないし、言うつもりもないんだけど、このお店願望はとんでもないパワーで誰もの心を蝕んでいまくる。その勢いと強制力といったら海よりも広くどんな山よりも高いぐらいだ。どんな例えだよ、それ。

でもこれって、物凄く男の子的なことなのかもしれない。女の子だったら、そこで「いらっしゃいませ」と言いたいかもしれないけど、そんなことはこれっぽっちも思わないもんな。

ポップでカリカチュア的だったりカートゥーン的だったりするような表現は、ある意味表現の本質に基づいていると思う。表現は本来的に人工的なものだったことが良くわかる。

で、そういう価値に対抗するのはリアリズムという価値だ。リアリズムってのはとってもいかがわしい。なぜならそれは、より人工的な技巧を凝らすことで、それが人工物であることを忘れさせようとするようなベクトルを持っているからだ。だましてナンボ。それがリアリズムだ。

シュールリアリズムだのハイパーリアリズムだの言い方やジャンルわけはいろいろされているけど、基本はどれも変わらないじゃんって思う。だましのテクが変化したに過ぎない。これは2Dを超えて現代美術全般に拡大解釈したってそのまま当てはまる。要するにリアリズムってのは本質的にメタレベルを基準とした価値体系なのだ。これはもっと拡大解釈すれば科学にもそのまま置き換えることが出来る。

んでね、そういういかがわしいものが、いかがわしいものとしてある状態が好きなんだな。それってひねくれたポップだ。へそまがり。

自分が作ろうとしているものに、もう一つレイヤーをかぶせてみてもいいかもしれないと思った。バイアスじゃなくてレイヤー。

レイヤーとかバイアスとかこういう単語を使うといきなり読む人を拒絶する印象になる。便利だからつい使ってしまうんだけど。良くないね。レイヤーってのは重ね着の一枚みたいな感じで使っている。ここでは、それまでに使っていたテクニックを相対化できるような視点をもう一つ加えてみたいってことになる。って全然上手く説明できていないじゃん。ごめんなさい。でも今日のところはいいや。バイアス(本来的な意味では「斜め」って感じの、見方をずらすような意味が正しいんだろうけど)は平行に移動するバリエーションでレイヤーってのは上下に移動するバリエーションという、まあそんな感じで使ってます。

で、何が言いたかったのかというと、これまで自分が物を作ろうとしてきたときにやってきた方法論の上に、もう一個別な価値体系をかぶせてみてもいいような気がしたのだった。つか、それが必要な気がしたのだった。足りないものが意識できたと。

流通が経済を支配しているんだと思った。当たり前なのかもしれないけど、そう思いついてとても納得した。物流のテクノロジーやメディアのテクノロジーがハードウェアとなってそこに需要と供給というソフトウェアが乗る。ほんとに当たり前なんだけど、それが意識出来るのと出来ないのでは随分と認識が変わる。

乗り物好きで、乗り物という概念をずっと拡大解釈し続けているんだけど、その中に流通が含まれた気がする。

5/18(Wed) 9:44
消費ってのは逸脱したコミュニケーションなのかもしれない。そして過剰な欲望としての消費はコミュニケーションの欠乏によって支えられている。これってまさにフェティシズムだ。

リストカットとか欝とかがあちこちで話題になったりしていて、自分のまわりにも割りとそういう人がいたりするし、欝に関しては自分もヤバかったときが無いわけじゃない。で、そんな話をチムリクとしていて、ふと思ったんだけど、年いったおじちゃんやおばちゃんが(いや、俺だって充分おじちゃんだけどさ)、定年退職で呆けちゃったり、ガンになったりすることは同じことなんじゃないかと思ったのだった。

つまり何が言いたいのかというと、体が元気なうちは精神が負けたり自傷に走るけど、体が元気じゃなくなるとそこから意思が取り除かれて、体が勝手に主張を始めると。要するに同じ原因が違う結果を導いているだけなんじゃないかと思えたのだ。だから逆に言えば、体が弱まっていれば年に関係なく呆けたりもするし、体が元気ならリストカットするおばあちゃんだって居るだろうと思う。かなり強引かもしれないけど、言いたいことはこれらの現象の是非ではなく、そこにはこれらの現象が起きる根本的な要因が同じものとして存在しているんじゃないかって事だ。だからなんだって話だけど、ある事柄が話題になるときにそれを双方(見る側とやる側、両方)が特別視するような状況が嫌いなんだよなぁ。

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