手書きブログで。他にも後2枚ぐらい。自転車の写真は雨で乗れず断念。これから晴れるのかな。
ru:Tag=[PaintBBS]
きょうはトカゲのブブが死んじゃったので燃やしました。
ルゼルブ号の発射にあたって、私は私が失うものを書き出した。
熟考の結果、書き出しには三日が費やされた。
リストは1723項目にも及んだ。
そしてそれらの項目には
私がこれまで抱え込んでいたほとんど全てが含まれていた。
だがもちろん、
私が失おうとしても失うことの出来ないものは残るのだ。
それ以外に必要なものなどあるものか。
私にはそう思えた。
きのうのバラのイメージです。両方とも手書きブログで書き始めたんだけど、下のは投稿失敗しちゃったのでPhotoshopで少し続きを描いてます。
また手描きブログで。リンク先にあと何枚かあります。この絵は友達限定じゃないと公開しちゃいけないみたいなのでこっちでw
日本画チックな描き方はだいぶわかってきた。この絵はまだかなり適当ですが、線が良く描けてると快感がありますね、この描き方。あとなにより練習になる。でもいかにも過ぎて、どっかで見たような絵になっちゃうのは避けられないな。スタイルが確立されすぎでネタ勝負になっちゃうようなところがある。まあ、それでもいいんだろうけど。色やテクニックの部分ではまだ開拓の余地がいっぱいありそうだし。もうちょっと探検してみたいような気もするが、今のところは漫画だったらアリって感じ。
手描きブログで描いた。サイズが合わないのでリサイズついでにちょっとだけ手を入れてあります。
このところのしょぼしょぼツールをいじっていて思ったんだけど、すくなくとも日本はやっぱり線画の国だなぁと。線の明確さ、線の饒舌さ、線の洗練、そういうものが凄く深く根付いている。怪獣の絵を描いていても、線さえきっちり決まればすごく速く出来そうだっていう感じがしていたんだけど、それは間違ってないようです。
どれが正しいかではなく、今までの自分は線を最後に引くものとして捉えていたようなところがあって、もちろん最初のアタリやスケッチの段階では線を引くんだけど、最後には必ず引きなおされるものとして線が存在していた。曖昧さを維持しつつ完成の直前まで持っていくときにはこのやり方は自由が利いていい。でも素材の制限や時間の制限が強いとなかなかうまく行かない。しょぼしょぼツールはその辺のことを確認するのにとても都合よく働いてくれたみたい。別にどんな描き方をしたっていいんだけど、一発書きは絵の基本の一つだと思った。書道と一緒だな。
LFOのFreakを流してたら描きたくなったので描いてみた。
この曲は怪獣描き用のBGMの一つに入れているもの。きのうはこれを描いたあとに胃が凄く痛くなって何にも出来なくなってしまった。でも何にも思い当たる節がない。変なの。
きのう、DVDでケン・ラッセルのサロメを見た。この落書きはそのイメージ。まあ、映画自体は良くも悪くもケン・ラッセルらしい仕上がり。とても美しいけど映画作品としてはそれほど素晴らしくはない。ただ、ほぼ全編が劇中劇でその舞台自体の人工性がとても好みだった。
嘘が嘘として誰が見てもわかるのにそれが魅力的というのは、なんともひねくれているという気もするが、子供の時からそういうものにはどうしても惹かれてしまう。本物と間違うようなリアリティよりも魅力的な嘘の方が楽しく見える。これを真剣に考えるととんでもないことになりそうなので止めとくけど、ちょっと前に見たメリエスの月世界旅行もまた嘘の魅力にあふれていた。
この落書きとは別に関係ないけど、絵を描いてると言葉が無くなっていく。それは別に困らない。お話を書いていると饒舌になっていく。それで困ることはある。でも、絵を描いていても思考が止まってるわけじゃない。言葉を使ってないだけで。
絵画的思考や空間的思考や音楽的思考の世界は、言語的思考や科学的思考の世界から見れば、さぞかし未開拓で曖昧でいかがわしく見えることだろう。そして、そう見えてしまう人に正しく説明するすべは無い。
しょぼしょぼツールお絵かき熱はやっと収まりを見せつつあるようだ。ちょっと力を抜こう。
まだ遊んでます。きょうから三日ほどはいじれないので、これで落ち着くかなぁ。どうだろ。
絵って、一枚に長い時間をかけていると自分がどの程度描けるのかが見えなくなるようなところがあります。この場合の長い時間ってのは3日とか一年とかってレベルの時間です。たぶんある程度のスピードでやらないと先に進まないような技術の階層があって、その部分が曖昧になっちゃうからです。
ってことで、自分が今どのぐらい描けるのかがだいぶ分かってきた所。
引き続きdrawr。
なんかツールに制限があると、今まで見えてなかったものがはっきり判ったりするんだな。それは技法に対する予感だったり、饒舌さに対する欲望だったり。
うるさい絵は好きじゃないし、いいとは思わないけど、自分のうるさい部分を故意に押し込めとくのは良くないんだと思った。そしてその上で、うるさかった部分がうるさくないものになるようにするのが正しいのかもしれない。と言いつつ、それも一つの方法論に過ぎなかったりする訳だけど。
またdrawr落書き。リンク先にあと何枚かあります。描き順再生なんかも出来るので興味ある人はどうぞ。ちょっとハマり過ぎ。
drawrで描いた落書き。 むかし、お絵かき掲示板で盛り上がっていたようなことは、その居場所を変えていくんだろうなと思った。言葉が無い場所ってのは他のSNSに比べるとまだ居心地がいい。
pixivで始まった新サービスのdrawrとかいうツールで描いた落書き。とんでもなく不自由なツールだけど、線はなんとなく引きやすい部類。pixivも今までアカウント無かったんだけど、ついでに作成。一枚、今まで未公開の古ーい絵をアップしてあります。興味ある人はどうぞ。Twitterのアカウントも貼っておきます。フォローやリクエストはお気軽に。
しかしアドレス貼っておいてなんだけど、どのサービスもあんまり積極的に利用することは無さそうだなぁ。pixivに関しては、知ってる人がほとんど利用していて、アカウント無いと大きい絵が見られなかったんだよね。あと、pixiv上にしか絵がない人もいっぱいいることもわかった。まあ基本はROM専ってことで。Twitterはここにつぶやきを引っ張ってこれるようにしようかと思案中。
ゴジラのとても太くてとても重くてとても短い足(もちろん「最初の頃の」ゴジラの足だ、と、曖昧に言っておこう)。
あの足を一歩踏み出すためにどれだけのエネルギーが必要とされることだろう。それはもう、もしも、あの大きさの生物が存在したとすればの話しだが、どのような種も比較にならないほどの膨大で無駄なエネルギーであるはずだ。
ゴジラのような生物が生きていくためにあの足は相応しくない。ここにゴジラがゴジラである全てがある。ゴジラはフリークスなのだ。もしくは、病を病んでいるのだ。ゴジラとは異形であるからこそゴジラなのだ。そして、異形であるということは、その生物が本来まっとう出来るだけの生を享受できる可能性が極めて低いことを意味する。
生物としてのリアリティは、正常形だけをもって語られるべきものではない。分類できるものだけが、測定できるものだけが、リアルなのではない。リアリティとはあらゆるものが、区別なく個別のものとしてある状態にこそ宿る。
ゴジラのリアリティとは儚さである。その重い足を一歩踏み出すごとに死に近づいていく儚さである。ゴジラが電車を食いちぎることも、戦闘機をなぎ払うのも、その儚さの上で、切ない暴力となるのだ。
もっとゴジラを思おう、と思った夜。
お絵かき掲示板はほんとは紙の代わりに使いたいぐらいなんだけど、どうもうまく使えない。お絵かき掲示板どころかPhotoshopでさえそうなんだから、なかなか道のりは遠そうだ。遊ぶための道具にはなっても考えるための道具にはならないんだ。慣れの問題もあるけど、自分が紙に描かれたものに愛着を感じてしまっているということがかなり強いんだろうと思う。
とは言ってもまだ全然不自由なツールであることも確かだ。これはCG全般。でも不自由を無視できるぐらいの魅力や可能性もあるから使うんだ。超ハイスペックのWindowsマシンにして、筆圧検知プラグインも入れたら鉛筆で紙に描くぐらい快適に線が引けるんだろうか。
技術の制限は表現も制限する。あたりまえだけど。そしてデジタルに限らず全ての表現は技術の制限の上でなされている。あたりまえだけど。ただ水彩絵の具や銅版画と違って、デジタルだけはそのシミュレーション的な特性ゆえに常に上を期待される。見方を変えれば、デジタルが生み出したタイリングや塗りつぶしやレイヤー合成などの可能性とは別に、デジタルだけは、アナログに比べて決定的に劣っている「速度」という問題を抱え続けているんだろうと思う。それってとってもかったるい。自分ではどうにも出来ないということも含めてほんとにかったるいのだ。
鬼板は2/15までで休業するそうです。何度か描かせてもらっていたお絵かき掲示板なんだけど、今日ぐらいしか描く時間が無さそうだったので突撃しておきました。参加したかったのに今まで見ているだけだったって人も、へぇ、そんなところあったんだって人も是非。
ガラージュのCD焼きは、なんか上手く行きそうな気配。とりあえずマックでは大丈夫っぽい。あとはウィンドウズで動作確認。これが問題なければマスタリング(どんな環境でも再生できるようにフォーマットやデータを調整する作業らしい。これがとっても高いんです。8万とか)抜きで入稿できるから安く上がるはずなんだけど、ダメだったらライティングソフトを買ってこなくちゃならない。それでもマスタリングを頼むよりはずっと安い。元のオリジナルデータをそのまま焼くだけだったら、おそらくなんの問題もないはずなんですが、マニュアルを付け加えたりもするので色々心配なのです。
このRelmってとこのお絵かき掲示板、最近出来たっぽいけどかなり最強な感じだ。しぃペインターも使えるし、何より設定がかなり自由に出来る。タグも使える、タグのショートカットも作れる、コンティニューもアニメも使えるしコメントだけも投稿できる。日記モードも出来るし、表示する画像のサイズをリサイズすることもできる(元のサイズは変えないで)。しかもデザイン部分はスキンとCSSでやっているのでやりやすいしやりたい放題だ。
まだ設置してないのでなんとも言えない部分もあるけどグラッと来た。制作者本人もいっているように設定項目が多いのでひるむ人もいるかもしれないけど、相当良さそうな感じがする。chimi chimiとNEWSとBBSが統合できるかもしれないな。
って、そんなことやってちゃいけないんだよ。ガラージュがあるんで。興味持った人は設置報告よろしく。
なんか、ずっと画材を探しているような気がする。
たぶん普通の人以上にいろんなのを試していると思うんだけど、どれもしっくりこないんだ。画材から生み出される技術があって、その画材に合った自分なりの技術が見えてきた時点でつまらなくなる。上手く出来ちゃうことに対するウンザリ感と面倒くささが一緒にやってくる。ワクワクしなくなる。ただの浮気性なのかもしれないけど。
どうも技術を磨くってことに興味が持てない。磨かれた技術は好きなのに。ガキなのかな。そういうことでもあるんだろうな。これって商売的にはものすごい不利だけどそんなことはどうでもいい。結局自分がこうありたいと思うやり方があって、そのやり方ってのは、技術のレベルよりもずっと上にある。そこでのわがままに従いたいだけなんだ。そしてそのわがままに従っていないようなものはあまり好きじゃないんだ。
そんなわがまま野郎に向いた画材はたぶんないんだろう。画材も他人と一緒で付き合っているときにだけ存在していて、こっちがどうだろうと知ったこっちゃない野郎なんだ。絵を描くってことは画材との対等な共同作業だ。探すものじゃなく巡り会うものだ。
自分とこでラクガキ二枚。
二枚ともでかい。
大きく描くのが描きやすいし気持ちいい。
まあ、モニタが小さかったりすると厳しいんだろうけど、割とみんな小さいのを描くなぁと思っていたりする。縮小表示とか出来ればいいんだろうね。ウチで使っているしぃペインターは描いているときは縮小できるんだけど、これが白っちゃけちゃって全然使えない(Winだと違うのかも)。PBBSは平等感があってそれだけで伝わり安いってのもあるし、ライブ感があるし、アニメ機能も面白いしでもっと遊べるんじゃないかと思っているんだけど、どうせ描くならプリントぐらいしたいなとか、徹底的にやってみたいなとか思ってしまう。そうするとどうしても画面の大きさが壁になる。誰でも簡単にコピーできるところにそんな高解像度の絵をおいておくのもどうかと思わないでもないけど、この際せこいことはいいっこ無しだ。何万円もするようなソフトを買わなくたって、ブラウザがあるだけでどんな絵でも描けるってのはスゴク良いことだ。
40歳以上のネット人口ってどれぐらい居るんだろう。10%以下かな。その中でお絵かき掲示板でなんかできないかと思っている人はどれぐらい居るんだろう。0.01%ぐらいかな。...って、自分が珍しい人間だっていいたいわけじゃなくて、そんなことを自覚しておくのも悪くないかもと思ったんです。何故かといえば、自分が寂しがり屋だからです。さみしい自分に対抗するには、第三者的と思われるような意味のない数字は割と役に立ったりする。現実に存在する「あの人はちょっと違うから」とか「興味はあるけど見るだけにしておこう」とかいう、大多数の人々と折り合いをつけるにはそういう認識はとても大事かもと思ったり。
でもここで言っている寂しがり屋はちょっと特殊です。BBSとかチャットとかメールとか携帯とかテレビとかによってもたらされる寂しさは、すごく人工的な感じがする。これは「ほんとは俺ってもっとなんかあるんじゃないか」という勘違いによって起きる寂しさです。しかも、そんなことをいくら頭で判ったところで、この勘違いはとても強力なのです。どのように強力かと言えば、これは恋の疑似体験のように強力なのです。穴が、スコーンと開けられる。その穴は決して埋めることの出来ない穴なのだけど、吹き抜ける風が冷たくてどうにかして埋められたように感じる瞬間を何度でも反芻しようとしてしまう。恋とメディアの魔力が違うのは対象の具象性だけです。具象性を持たないメディアは、それに対抗しようとすれば恋よりも自分に向き合うことを余儀なくされるので、さらにやっかいです。恋だったら、相手から暴力的な修正がかかったりするけど、ここからはそんなことはほとんど起きない。むしろ、そういう修正は排除される方向に進む。お互いがメディアでもあるようなネットではさらに慇懃にそれが不文律となる。
いっそのことこれは恋だと言ってしまったらいいのではないかと思うのだ。多少はましになって、暴力だってマトモに振るえるようになり、それを受ける側も肝が据わりそうな気がする。メチャクチャ時間がかかりそうだけど。
長い時間をかけて人は変わっていく。でもほんとにそうだろうか。自分なんて全く変わっていない気がする。ただ年をとっただけで。オジサンみたいな子は五歳の時からオジサンだ。
いろんな人がいて、その上に山にかぶさった笠雲みたいに社会というシステムが乗っかっていて、その雲の中では確かに人は変わるように見える。義理やカネに振り回されたり振り回したり、恥を掻いたり威張ったり、自信を持ったり無くしたり、病気になったりならせたり、でもその雲の中が全てじゃない。雲の中でいくら変わったところで変わらないものがある。
あんまり雲の中に長いこと居すぎると、変わらないものなんて見えなくなってくる。カラオケ屋に行っても買い物をしてもオシャレをしても、どこまで行っても雲の中だ。どうにもならなくなると、人は病気になったり失踪したり犯罪を犯したり絵を描いたりする。それらは救いになることもあればもっとどん底に落ちることになることもある。どん底も救いかもしれないけど。
雲は分厚い。でもそれしかないわけじゃない。所詮雲だ。分厚くて無くならないけど、所詮雲だ。たまには雲のない空を拝んだほうがいい。孤独が怖くなければ、それはいつでも可能なことだと思う。
ラクガキしていたらタイムアップになっちゃった。
ちゃった、とか言いながら半分計画的だったりして。
ふえーん、許してくれー、時間ないんだよぉ。
つうことで絵を見て勘弁して下さい。右下のカゲロウね。
「しぃペインター」を試してみたくて設置しちゃいました。でも対応しているBBSがまだあまり選べなくて、暫定設置っていう感じ。誰でも描けるけど、いつ消えるかわからないので描く人はそのつもりで。右下のカゲロウのアイコンから入れます。
しぃペインターを設置したいと思っている人のために少しレポートしておくと、今使えるBBSは4種類ぐらいあるみたいで、その内の二つは日記用とツリー型のやつで、これは試していません。あとの二つは実際に置いてみた。ここに置いてあるのはデザインの自由度が低いです。CGIそのものをいじることが出来ればいいんだけど日本語が全部エンコードされちゃっているみたいで難しいです。あと、コンティニューが出来ない(今後実装されるみたい)。いいところは画像サイズの上限がないところ。
もう一つのやつは、デザインはそれなりにいじれます。エンコードもされていないのでCGIもいじりやすい。その気になればかなり思い通りに出来る。コンティニューもできるし、基本的なインターフェースも良くできてる。でもファイルサイズの制限が厳しいのが難点。画像とアニメ合わせて500Kまでしか指定できない。これはちょっとなぁ。あとは二つともタグが使用できないんだよね。自分の場合できればNEWSに使いたいと思っているから、タグが使えないと一つの投稿で複数の画像を並べることが出来ないのは困る。というわけでどちらも決定打にはならなかった。やっぱりBBS NOTEのバージョンアップを待つしかないのかな。
PaintingPP.の一人金魚祭りを見ていたら描きたくなったので自分のとこのPBBSで描いてみた。
そういえば昨日俺ウソ書いちゃったなー
PBBSの新しいヤツ、「しぃペインター」はもうダウンロード出来るようになっていた。ただ設置用の掲示板がまだ対応できていないやつがあるだけだった。ということはもう使えるってことだね。
しかしあれだけのものがタダで公開されているってスゴイよなー。リナックスとかもそうだし、世界中の人間がネットやコンピュータのために膨大な時間をシコシコと捧げ続けているわけでしょ。だからなんだってわけじゃないけど、その膨大さを想像することもできないぐらいの膨大さは、それだけで口をぽかんと開けるしかないっていうか、圧倒されるっていうか、気が遠くなるっていうか、卒倒しそうになるっていうか、とにかく変われるものがあるなら変わっちゃうぐらいの、ひょっとすると変わらないと思っていたものでも変えちゃうぐらいのパワーがあるよなぁ、と思ってしまうわけです。いまはまだ、ネットやコンピュータそれ自身のための変化でしかないように見えても、それを決定的に超えちゃう瞬間が来るんだろうな。良いことでも悪いことでもなく物理的な力がそうさせるんだ。とんでもねぇ。

前にも書いたけど、この掲示板って喋るような描き方にはすごく向いているんです。そういう描き方って頼まれ仕事以外では避けていたような所があって、逆にそういう描き方を強要されるのは新鮮で面白い。でもそこから自分の描きたいイメージ持っていくのが全然上手く行かない。精進あるのみだな。
今日はこれから【ル:通信】の準備をするつもり。
それとガラージュのテストプリント。

ちょっと別な仕事が入っていて、ガラージュの方は進められませんでした。そろそろ自分用の期限を決めてやらないとダメそうですね。とにかく予約受付だけでも早い内に始めたいんです。予定では予約開始から2ヶ月ぐらいで正式販売ということにしようと思っているので、試作品さえ出来てしまえば予約は開始できるのです。気持ちとしては今月いっぱいぐらいには開始したいと思っているのですが、スペシャルボックスの試作品は少し時間が掛かりそうなので微妙なところです。最悪の場合はスペシャルボックスは時間差で売るとか、別枠で考える方が現実的かも。
話飛びますけど、このNEWSをお絵かき掲示板でやったらどうかと思っています。っていってもまだほんとにお試し中なのではっきり決めたわけじゃありませんが。フォトショップをいちいち開くのが面倒なんです。それとJOINTのBBSがここから遠いってのも気になってます。そんなわけでダウンロードしてきて自分用に設置して遊んでいます。慣れればかなり自由に出来そうでちょっと楽しみ。
ガラージュ、今日は時間がなくて全然進んでません。そんでもって明日も時間ない。明後日からまたやります。
この絵はきのうウェブテントっていうとこの絵板で描きました。近頃流行りの「カレーパンの歌」の発信元です。知らない人は急げ!
この絵、かなりディテールがガラージュぽい。
なんか、なんのひねりもなくそのまんま描きたいものを描くってのも悪くないよなと思って描きました。あ、この言い方は誤解を招くな。写真的、西洋透視法的に喋るように描くって感じです。漫画の背景みたいなもん。たぶんそれだけで成り立つような描き方だってあるんだって気がします。この絵じゃちょっとですけど。


子供パワーの一定部分は締め付けによって生まれている。という論理は嫌いですが、ある程度はほんとでしょう。発禁本の裁判みたいな話ですね。エロティシズムは禁止の上に成り立っているとかさ。こういう話はどうしても視野が狭くなるのでそういう土俵にはあまり立ち入りたくないのだけど、あらゆる制約が無くなったところで制約は永遠に存在し続けるということでカタを付けておきたい、と、いつも思います。
人間は鳥ではないし、植物でもない。その上生物はみな死ぬのです。それだけで制約としては充分でしょう。つまりどれだけ制約を人間社会の中で外したところで、子供パワーもエロティシズムもロマンティシズムも無くならない、僕はそう思っています。
学生の頃に友達と話していて、その友達が最近聞いた話としていっていたのですが、ある人が「学生運動があった頃とか戦争中とかはリアルがあっていいよな」といったところ、そこに居合わせたもう一人の奴が「そんな状況じゃないとリアルを感じられないようじゃダメだと思うぜ」と返したそうです。僕はその話を聞いた時「俺がいつも考えていることはまさにそれだ!」と思いました。そしてその気持ちは今も変わっていません。
特殊を求めてはいけない。そんなものを求めたところで、得られるのせいぜいチャチなかぶりものです。やっぱすっぴんで行かないとね。

話は変わるけど、今日雑誌を読んでいたら、たった一つの分子に1024bitの画像を書き込むことに成功した科学者が現れたそうです。たった一つの分子ですよ。まだぜんぜん実用になはならないみたいで、書き込んだ画像はあっというまに消えてしまうそうですが、それが実用化されると2.5インチのディスクの中にエクサバイト(メガ<ギガ<テラ<ペタ<エクサ、だったかな)のデータが保存できるようになるとか。一生分のデータを入れてもあまりそうです。
画面解像度300dpi(新しく出たザウルスは217dpiだそうです。ちなみに普通のモニタは72dpi。1インチに72個の点でデータが表示されている)で筆圧感知機能と傾き検知機能のついたタブレットPCを持って、フォトショップよりも優れたウェブアプリケーションで絵を描き、商品はデータのダウンロードで売り、入金はネット決済、あとはカードがあれば、自分の家も持たずにサイトを運営し、作品を作りながら世界中をぶらぶらし続けるなんてことも可能になるわけです。
それがよいか悪いかは別として(自分に都合のいい変化ばかりが起きるわけではありませんから)、そんな風にしている自分を想像するとちょっと楽しくなってしまいます。