この何ヶ月か、あれやこれやにずっと振り回されっ放しだったけど、ほんの少しだけ落ち着きが戻ってきそうな感じになってきました。
今日はル:通信の準備をやりました(お待たせしすぎで申し訳ない)。他にも片づけなければならないことが溜まりまくっています。あ、そんな風にぞんざいな言い方をしてはいけませんね。自分でやろうと決めたことですから。
しかし一日8時間とか働いていて、休日一日とかでその上残業まであって、さらにそれがやりたくもないことだったりもして、しかもやりたくもないことだったはずなのに、それしかできないように自分を感じてしまうようになる。そんな風にも成れてしまう。そして成れたところで、どっかにはひずみを抱え続ける。僕の偏見かもしれないけど、そういうことにすごく恐怖を感じます。でも自分はと言えばやっぱり似たようなことをやっています。それでもそんな風にはならないようにしたいので、ギリギリの条件でやります。ちなみに今の仕事は一月の半分働けば生活費は出ます。その代わり夜勤で一日11時間です。
少し自分のことを書くと、営業さえすればもっと割のいい仕事はいっぱいあります。なんだかんだいって絵を描いたりデザインしたりする方がバイトなんかしているより儲かる。一週間で20万とかさ。不可能ではない。でもね、苦しくて出来ないのよ。一週間で出来ることを逃げまくったあげくに一ヶ月以上引っ張ったりしてしまう。馬鹿だとは思うけど出来ないものは仕方ない。締め切り前の漫画家状態です。そんでさらに考えると、結局そういう仕事をやるってことは、そんな仕事をする人になるってことなんだよね。片手間でやるなと。他にやりたいことがあるならやるなと。若い頃はそんなことだって両立できると思っていたけど、歳食ってみたらとんでもない。週休0実動14時間のサラリーマンと変わらない。それぐらいだったら、金は外で稼ぐか、じゃなかったらやりたいことの内側に取り込んでしまう方がいいんじゃないかと思うようになったのです。これだって上手く行くかどうか相当怪しいですが、少なくともやったことがない分は新鮮な気持ちになれるってもんです。
何をやるにしても腰が据わっていないのはダメです。ほんとにそう思う。これは「売り絵」を描こうが一緒。ラッセンだとかヒロ・ヤマガタだとか、大ッキライ(てか、どうでもいい)だけど、腰が据わっているということに関しては立派だと思う。はっきりいって負けてます。「本気」なんてものは最初はフリで充分。本気かどうかはやった後にわかるものです。ああ、本気でやったんだなと。今自分に求められているのは、外で稼ぎつつ「本気」になれるのかってことです。僕はそういう意味ではラッキーだったので「本気」の時には他のことを全て無視してやってきたのです(とは言ってもそれなりの代償は払ってます。もちろん)。だからこの土俵ではガキなのです。
アートがガキのもだという時代には限界がある。かといって人の言うことに従うだけなんてのはもってのほかです。そしてコミュニケーションという幻想を利用したつもり(正であれ負であれ)の「戦略」も然り。全てはガキの未来幻想です(例えそれが巨額の金を動かすことになろうとも)。未来も本気と一緒で、振り返ったときにそこにあるものに過ぎないんじゃないだろうか。未来とは本質的に過去である。端折りすぎで何いってんのか分かりにくいかもしれませんが、未来に振り回されずに生きたいということです。