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0305082.jpg「臆病なうえにひねくれたショーネン」
もうすぐルを公開してから一年です。だからなんだってわけではありませんが、せっかくなのでプレゼント企画でもやろうかなと思ってます。そしてこのNEWSは3日か一週間ぐらいお休みをとらせてもらおうかなと思っています。自分で勝手に決めたんだけど、365回でログがいっぱいになるんでファイルを分けなきゃなんないし。

ちと早いけど、まあよく書いたわね。
プレゼントは何がいいでしょうか?と考えたんだけどやっぱり絵かな。NEWSで描いたラクガキのプリント。あまり大きなサイズで描いたものはないので、たぶんプリントサンプルぐらいの大きさになります。当選者は2?3人。お気に入りの絵とかあったらBBSの方で教えて下さい。参考にしたいです。希望があんまり少ないとやる気無くなってしまうんで、ココは是非思い切って書き込みよろしくお願いします。絵の名前とか付いてない奴が多いけど、日付とかNEWSのナンバーでいいです(でも人が欲しがるようなラクガキ描いていたっけかな.........)

問題は抽選方法ですが、すぐに面白いのを考えるのは無理なので、普通に紙にでも書いてマゼマゼして選んじゃいます。一回やってみたかったし。応募方法は専用メールフォームでも作ろう。これはちょっと待って下さい。なるべく早く作りますんで。ということでよろしく?。

030508.jpg春っていつまで春というのでしょうか?
五月はもう初夏ですか?
五月晴れ(さつきばれ)っていいますね。今日は雨だけど。こんな日には、なんか不思議なことが起こりそうな気がしてしまう。たぶん知っている暦に当てはまらないような気がするからです。どこにも属さない一日。取り残されてしまったようで不安なのに懐かしいような一日。

世界中が部屋の中のような気がしてくる。机の上に置いてある恐竜の人形と傘を差して外を歩いている人が同じものに思える。オモチャの自動車と高速道路を突っ走る長距離トラックが同じものに思える。引き出しの中のガラクタと広い国が同じものに思える。でも耳だけはいつもよりも敏感になっていて、ラジオ放送とか電話の中だけでは元気なおしゃべりがされていたりする。気持ちは無線と有線の回線に入り込んでいってほんの少しの実らない冒険をする。僕は不毛な冒険を諦めて口を閉じる。耳が沈黙を聞く。気持ちが時間を超えてたくさんの取り残された一日を連れてくる。こんにちは、小さかった僕。こんにちは、ひとりぼっちの僕。みんな、なにも言わないけど、僕はそれらの取り残された一日たちと共にいる。

0304282.jpg「赤いベベ着たミドリちゃん」

030428.jpg「春のケツ」

030424.jpg「ヘンなシャボン玉」

0304242.jpg「困ったお猿」


0304243.jpg「ちゃちな救済」

今日(というか描いたのはきのう)のも「授業中のラクガキ」的ラクガキです。

いったいいつになったら【ル:通信】は発行されるんだろう?いつになったらガラージュの予約は始まるの?いつになったらアリスのシェアピースは販売されるの?いつになったらプロジェクトは始まるの?などと思っているレディースアンドジェントルメンな方々。

ごめんなさい。

やる気は満々で日々過ごしているのですがもう一ヶ月ぐらいは身動きがとれ無さそうなんです。どうか待つことを止めないでくれ?。ちゃんと結果は出すから。心からお願い申し上げます。

030422.jpg030422_2.jpg写真を撮るってことは「作って、見る」という感じがする。まず自分の側にフィルタを作っておいてから、見る。それはそれで面白いし、一度その気になってしまえばハマりもする。でも普段はそんな風にはものを見ていないので普通に写真を撮ると作らないで見ることになり、結果的にいわゆる「普通の写真」が出来上がる。

絵を描くってことは「見たものを作る」って感じがする。頭の中や体の中には、たくさんの見たものや感じたものや経験したものの記憶があってその中にハンティングに出かけていくような感じだ。普通に「作らないで見て」いても(フィルタをかけないでも)体や頭は意識している以上の情報をその内側にインプットしている、と自分は思っている。

どうでもいいようなことなのかもしれないけど、写真を撮るモードになってしまうと、フィルタがかかっている分、情報を取り入れ損なうんじゃないかと前から思っていた。でも自分の外側(ここでは写真を撮る世界)を、絵で言うところの頭や体に置き換えてしまえば同じことなので、それはただ単にアプローチが違うだけってことなのかもしれない。う?ん、ややこしい話だけどそれは正しいかもね。

030415.jpgこの絵はTOKIYA氏とペインターで遊びながら5分ずつぐらいの交代で描きました。TOKIYA氏ペインター初体験。

こんな風に遊んだのはほんとに久しぶりだ。楽しかった。急に形が出来てくるとドキドキするんだよね。そして真ん中に絵がある。それぞれが同じ一枚の絵のことを考えている。それなのに自分の番になるまでどうなるのかまったくわからない。やったことない人はぜひお試しあれ。ほんとに面白いから。

030413.jpgチムリク版ニュースよりたいして時間経っていませんが、今しか書けないので早速アップ。

しかし今日はあったかいなぁー。関東地方だけなのかな。
今、Tシャツになりました。
このままどっか行きたくなっちゃいます。
散歩してるだけでいい。

ほんとに好きです。散歩。
遊びといったらまず散歩です。
子供の時にはいつも「なんかイイモン落っこちてないかなー」と散歩していたし、もう少し大きくなってからは「カッコいいところ無いかなー」と散歩していたし、それから珍しい虫いないかなーとか、イイ家ないかなーとか、キモチイイなーとか、さみしーなーとか、ムカつくなーとか、嬉しいなーとか、かなしーなーとか、とにかくいろんな風に散歩してきました。

散歩をしているときは今の自分の気分と一緒にいるような気がします。絵を描いているときも上手くいっていればそんな気になれる。でも散歩の方がそんな風になりたいだけだったらずっと優れてる気がします。あんまり散歩してないと自分の気分をどっかに忘れてしまったような気になる。
散歩をしよう。

030408.jpgこの何ヶ月か、あれやこれやにずっと振り回されっ放しだったけど、ほんの少しだけ落ち着きが戻ってきそうな感じになってきました。

今日はル:通信の準備をやりました(お待たせしすぎで申し訳ない)。他にも片づけなければならないことが溜まりまくっています。あ、そんな風にぞんざいな言い方をしてはいけませんね。自分でやろうと決めたことですから。

しかし一日8時間とか働いていて、休日一日とかでその上残業まであって、さらにそれがやりたくもないことだったりもして、しかもやりたくもないことだったはずなのに、それしかできないように自分を感じてしまうようになる。そんな風にも成れてしまう。そして成れたところで、どっかにはひずみを抱え続ける。僕の偏見かもしれないけど、そういうことにすごく恐怖を感じます。でも自分はと言えばやっぱり似たようなことをやっています。それでもそんな風にはならないようにしたいので、ギリギリの条件でやります。ちなみに今の仕事は一月の半分働けば生活費は出ます。その代わり夜勤で一日11時間です。

少し自分のことを書くと、営業さえすればもっと割のいい仕事はいっぱいあります。なんだかんだいって絵を描いたりデザインしたりする方がバイトなんかしているより儲かる。一週間で20万とかさ。不可能ではない。でもね、苦しくて出来ないのよ。一週間で出来ることを逃げまくったあげくに一ヶ月以上引っ張ったりしてしまう。馬鹿だとは思うけど出来ないものは仕方ない。締め切り前の漫画家状態です。そんでさらに考えると、結局そういう仕事をやるってことは、そんな仕事をする人になるってことなんだよね。片手間でやるなと。他にやりたいことがあるならやるなと。若い頃はそんなことだって両立できると思っていたけど、歳食ってみたらとんでもない。週休0実動14時間のサラリーマンと変わらない。それぐらいだったら、金は外で稼ぐか、じゃなかったらやりたいことの内側に取り込んでしまう方がいいんじゃないかと思うようになったのです。これだって上手く行くかどうか相当怪しいですが、少なくともやったことがない分は新鮮な気持ちになれるってもんです。

何をやるにしても腰が据わっていないのはダメです。ほんとにそう思う。これは「売り絵」を描こうが一緒。ラッセンだとかヒロ・ヤマガタだとか、大ッキライ(てか、どうでもいい)だけど、腰が据わっているということに関しては立派だと思う。はっきりいって負けてます。「本気」なんてものは最初はフリで充分。本気かどうかはやった後にわかるものです。ああ、本気でやったんだなと。今自分に求められているのは、外で稼ぎつつ「本気」になれるのかってことです。僕はそういう意味ではラッキーだったので「本気」の時には他のことを全て無視してやってきたのです(とは言ってもそれなりの代償は払ってます。もちろん)。だからこの土俵ではガキなのです。

アートがガキのもだという時代には限界がある。かといって人の言うことに従うだけなんてのはもってのほかです。そしてコミュニケーションという幻想を利用したつもり(正であれ負であれ)の「戦略」も然り。全てはガキの未来幻想です(例えそれが巨額の金を動かすことになろうとも)。未来も本気と一緒で、振り返ったときにそこにあるものに過ぎないんじゃないだろうか。未来とは本質的に過去である。端折りすぎで何いってんのか分かりにくいかもしれませんが、未来に振り回されずに生きたいということです。

030407.jpg今日は方眼紙を敷いて描きました(↓きのうのNEWS参照)
今変換してわかったんだけど「紙をひく」とはいわないんだ。「紙を敷く」が正しいんだね。七は?ひち?しち?おおよ、どうせオイラ江戸っ子だい!だけど本物の江戸っ子は隅田川より内側で親子三代続いていないと江戸っ子とは言えないんだって!ちぇっ、ちぇっ!こちとら半端な根無し草でけっこうだぜ!紙はひくもんだい。布団もひくもんだい。鍋敷きじゃなくて、鍋ひきだぜ!!文句のある奴は市中引き回しの上打ち首獄門だぜ!!!

030406.jpgペインターでラクガキをするようになってから、タブレットの表面がスベスベしすぎているのが気になってしょうがなかったので、久しぶりに紙を上に貼って描いたら調子がいい。描画がフォトショップに比べて早くなった分タブレットの表面に抵抗がないと線がヨレヨレしてしまうみたい。今はコピー用紙を張り付けているけど、ちょっと抵抗が強すぎるみたいな気もするので、明日は方眼紙を試してみよう。タブレットの感触が気に入らない人はぜひお試しあれ。

030405.jpg0304052.jpg雪の降る街で着るものもなくお腹に手を突っ込みながら死んでいくのは淋しいだろうなと思いました。雨の中でずぶ濡れになりながら顔に当たる雨粒の感触が無くなっていくのを感じるのも淋しいだろうなと思いました。JR小岩駅の近くの歩道で立ちションベンをしていたホームレスのおばさんはどんな死に方をしたんだろうと思いました。どんなに淋しい死に方だってあるのだと思いました。雪の街で死んでいく男と立ちションベンのおばさんと自分との間には何も違いがないのだと思いました。スーツを決めた坊ちゃんサラリーマンとエロビデオに出演したくて上京してきたお姉ちゃんと気が振れてみたくてイってしまわれたお兄さんと何もできなくてカッコばっかつけてる学生と子供に嫌われた親と今産まれた赤ちゃんとの間にも何も違いはないんだろうと思いました。どんなに淋しくても全てはあるのだと思いました。どんなときでも全てあるってのは悪くないと思いました。

030404.jpg悩みまくりです。そして気が付いたのだけど、今まで一度もカメラを買ったことがないのです。カメラ自体は持ってるんですけどね。拾った奴と貰った奴。でも買ったことはない。中学生ぐらいの時に欲しくて欲しくて調べまくったことはあったけど、結局お金が無くて買えなかったのです。そっかぁ、初めて買うカメラなんだ、とか思ったらさらに悩みが加速。

一応使い道としては、キネガワ堂の商品写真とテクスチャー用の素材撮りをメインに考えているので、普通のコンパクトタイプのものを考えています。写真で作品作るわけじゃないので立派なのはいりません。あとは画質が良くてマクロが寄れて、その上軽くて小さくて3万円ぐらいで、さらに出来ればカッコいいもの、と思っているのですが、なかなか決められません。

今のところの第一候補はCANON-IXY200a/300a。CFカードがType1にしか対応してないので128MBまでしか使えなかったり、露出制御が選べなかったり、CCDが小さかったりといくつか不満はあるけど、なんと言ってもコストパフォーマンスがいい。画質もサンプルを見た限りではトップクラス。フジの奴とかはスペックはいいのだけど画質がひどい。シャープと彩度をいじり過ぎで汚くなってしまっている。PanasonicやPENTAXやMinoltaはそこそこ綺麗なのだけど、新しいので値段が高い。でもなぁ、せっかくの初カメラだしなぁ、ちょっとぐらい高くてもいいかなぁ、とかね。携帯電話の時とは大違いです。ケータイは結局500円でゲットしたもんな。可哀想な携帯電話。

ところでこの手の「コンパクトグッズ」って、みんな同じぐらいの大きさなのね。携帯とかMP3プレイヤーとかゲームボーイとかPDAとか、そしてカメラも。面倒だから早いところ全部一緒になって欲しい。要するに画像と音声とキーの入力が出来て、同じものの出力が出来る、ただの通信可能な小さいコンピュータでしょ。だから何だってわけじゃないんだけどさ。

なんか自分が買おうとしているのはカメラじゃないような気がしてきちゃったよ。きっとそうなんだな。でもそれはちっとつまんないかも。なんでだろう?カメラはカメラじゃないと嬉しくないのかな。俺が古いのか?別にいいんだけどね。

sakura.jpg昼間、お花見をしてきました。
1時から4時ぐらいまでの間。最近のわたしはちょうど12時間ぐらい人とずれているので、夜中の1時ぐらいにヘロヘロになって散歩に出かけた感じです。もう既にビールの感じではなくなっていたので、安いスコッチを小瓶に詰めてポケットに忍ばせて出かけました。

お花見スポットは近所にたくさんあります。というかいつもの散歩コースがそのままお花見コースになるのです。お弁当を持って食べるわけでもなく、カラオケセットを用意して歌うわけでもなく、ただ酒をチビチビやりながら、散歩するだけです。お目当ても桜だけではありません。春は他の花もたくさん咲いています。家の前にはユキヤナギ(たしかこんな名前)が、「いいの?」ってくらい白い花を咲かせていますし(思わず花の塊に顔をつっこんでしまいました)、ホトケノザやスミレもたくさん咲いています。菜の花も黄色いワクワクするような花を咲かせているし、名前も知らないような花もそれ以上にたくさん咲いている。お花見は言ってみれば、春のキモチイイ日に散歩するための口実みたいなものです。

ただ一つ残念だったのは、今日は平日だったので出店が焼きそば屋しか無くて、たこ焼きやお好み焼きが食えなかったことです。ガキの頃から買い食いは大好きですからね。ちょっと悔しかったので、少し離れたコンピにまで遠征してブリトー(甘くないクレープみたいな奴)のサルサとサンドイッチとタイムスリップグリコ(おまけ菓子)を買いました。それからもう一カ所の花見スポットに移動。こっちは人出も少なくてとても落ち着いています。東屋に陣取って、眠くてボケーッとしながら池の縁に生えている桜を眺めました。すぐ横には柳の木が新芽をいっぱいにつけています。グリコのおまけは、欲しがっていた「電柱に登っているカネゴン」でした。幸せだわね。

030402.jpgなんとなく春っぽい気持ちでラクガキ。
春ってなんか曇りのようなイメージがあります。それも明るい曇りの日。そして曇りの日のモノの見え方がかなり好きなんです。晴れの日のように影がくっきりしていないで、どこからが影なんだかわからないような綺麗なグラデーションが出来る。目の前のモノが一つ一つその形を、服を脱いだみたいに見せてくれているような見え方です。自分の認識の中では、一番形をはっきりと認識できるような見え方なのです。曇りの日の光の中で見えている形がそのものの本来の形であるというような(これも偏見の内なのはわかっていても)、妙な基準が自分の中に出来上がっているようです。

前に質感を描くのに抵抗があるということを書いたけど、それもこの好みとつながりがあります。ツルツルしたモノやヌルヌルしたようなものを描こうとすると、どうしても反射や写り込みやハイライトを無視できなくなって、「曇りの日の本来の形」が見えにくくなるのがイヤでもあったのです。

最近そういう描写に抵抗が無くなってきたのは、たぶんツールの影響もかなりあると思っています。元々アナログで絵を描いていたときは、とにかくマットな質感が好きで、どんな画材を使うにしろ、そういう仕上がりの絵にはあまりツルツルしたような質感表現は向かないように思っていました。でもモニタ見ながら描いていたら、そんなの関係ないですからね。透過光だし、まるで窓をみながら描いているような感じです。これが自分にとっていいのか悪いのかは、今の時点では判断が付きませんが、変化が起きていることだけは確かなようです。

関係ないけどこのNEWSを午前中にアップするようになったら、午前中のアクセスが急に増えるようになってちょっと驚いてしまいました。なんだかんだいって楽しみにしてくれている人がいるんだなぁ、と。有り難いことです。

030330.jpgいつのNEWSなんだかわかんなくなってきた。
前から夜型だったのだけど、新しく始めたバイトのせいでさらに酷いことになってます。これは一応30日分ってことで。ズルはしていないんだけど、自分でもキツネにつままれたような気分。ズル、してないよね?

「ズル」ってよく見るとカッコいいな。
アフリカっぽい。

我 ズルの化身なり
我ズルと共に生き
ズルと共に滅びん
ズルの声を聞き
ズルの導きに従う
ズルあるところに我はあり
ズル無きところには我もない
ズルこそは世界であり我である
ズルあることに感謝を捧げ
ズルのままに生きよ

土人(昔はジャングルに住む黒い人たちのことをこういってたんだよ)の成人の儀式にずっと憧れてました。割礼とか、入れ墨とか、地面につっこむようなバンジージャンプとか、夜のジャングルにひとりぼっちにされることとか。大人になるって恐くてスゴイことなんだ、って、本気で思った。いつそれが起きるんだろ、ってずっと思っていた。逃げ出したいぐらい恐くて大人に押さえつけられながらオイオイ泣くんだろうと思っていた。それなのに恐いことは、変則的でイレギュラーな形でしか起きなかった。大人はどこにもいなかった。ガッカリだよ。俺は勝手に大人になってやる。自分のやり方で。そこらに転がってるような大人面なんてウンザリだ。ぶってんじゃねぇぜ。

030328.jpgドメイン無くなるところでした。プロバイダを変えたのにメールアドレスの変更を自主申請していなかったのが原因でお知らせがもらえなっかのです。ただの宣伝メールかと思っていた英語のメールがドメインの更新催促だったことに翻訳してみてやっと判って、レンタルサーバに慌てて連絡を取りました。こういうのってもうちっと融通効かないものなんだろうか。最悪フリースペースに避難かと思ってあたふたしてしまいました。
ふう?

わりとつまらないマヌケでヘマをやらかします。なんか「いらぬこと」は出来るだけ考えたくないという傾向があるようで、「今は考えなくてもいい」と決めてしまったことには決定的に無頓着になってしまうのです。そのぶん見極めが悪かったときにはダメージもデカイというパターンになりやすい。基本的にはそのダメージにめげたりふてくされたりしないでいられるのであれば、どんな損害がでようとそのやり方を通せばいいのだと思っています。逆にいえば、はた迷惑なほど取り乱すようであればもっと慎重に考えておけよと。

でもねぇ、そんなに先が見通せるわけはないので、やっぱりパニくったりしてしまうこともあります。
ありますよ、そりゃ。
それでもそんなときには「しっかりしなきゃ光線」が誰でも出るものです。で、わりと自分は「しっかりしなきゃ光線」をダメージの大きさに応じて出したがるタイプのような気がします。危ないときほど燃えるんです。その前にダメ?ジ出ないようにしとけって話でもありますが、でちまう時には出ちまうわけですからね。ええ、もう、とりあえず気張っておくしかないでしょ、ってなるようです。いいんだか悪いんだかわかりませんが、振り回されるだけよりはましかなと思いつつ今日もお休みの時間のようです。

0303252.jpg今日はあったかい!桜もチラホラ。春はもちろん嫌いじゃないけど落ち着きません。絵なんて描いてる場合じゃないって感じ。アレやアレやアレでもしてる方がよっぽどいいでしょう。夏もそうだ。絵なんて描いてる場合じゃないって感じ。あんなことやあんなことやあんなことをしてる方がよっぽどいい。もし南の国に住んだら作品なんて作る気がなくなるんじゃないだろうかとよく考える。そしてほんとに住んでしまったら、それならそれでもイイかも、と思ってしまうかもしれません。そんときは仕方ないやね、でも、南の国なわけだから、一年中あったかいわけでしょ。一年中あったかかったら、あったかいからといって落ち着かなくなったり、動きたくなったりしなくなるかもしれません。逆に一年中冬のように過ごせたりして。それはそれで悪くないな。なんだ、結局何でもいいのか?この俺は。何でもいいのが正解だろ。きっと。

030326.jpgむー、この手の絵はペインターだと上手くできないなー。フォトショップで慣れすぎていてなぞっちゃうみたいだ。30分ぐらいで遊ぶには無理がある。よく描いていたようなモノほど馴染みのツールから離れるのが難しいみたいだ。

それはどうでもいいんだけど、階段が好きです。大好きです。線路みたいだし、骨みたいだし、とにかくカッコいい。建物や車両や山なんかに階段がついているだけですごく魅力的に思える。非常階段、螺旋階段、梯子、縄ばしご、自動階段(お約束)、どれも好き。動きを想像させるところに意志を感じるのかもしれない、などとたった今思ってみたりしました。一段でも階段。一段の階段も好き。一段の階段に座ります。ボケーッとしながら。そして階段的思考を巡らすのです。階段的思考は頭の散歩。高い空を飛行機が飛んでいけば飛行機にジャンプするし、目の前をネコが歩けばネコにジャンプする。そして気が付くとお尻が冷たくなっているのです。

030325.jpgどうも最近無理があるなぁ。
サイトを作ったり、絵を描いたりする時間がぜんぜん取れない。予定では4月ぐらいからはリズムを作って時間が取れるようになるつもりでいるのだけど、ちょっと心配になってきた。最悪の場合はこのNEWSを止めて、その分を作る時間に回すしかないかもしれない。これのためにサイトやってるわけじゃないし、中身が作れなかったら話にならないもんね。

前にこのNEWS自体がプロジェクトなのかもしれない、ということを書いたけど、それはそれでアリだとは思う。その場合には今までみたいなパターンではなくて、ある規律に沿ってやっていくようなことになるけど、それは不可能じゃないと思う。うん、出来る気がする。でもそのやり方だと表現の幅はかなり限られることになりそうだ。絵物語や博物誌的なことは出来ても、ゲーム的な表現は出来ない。それはまずい。やろうとしているプロジェクトに自分が求めていることって、Webが表現の場として相応しく、それ自体がここで表現されなければ意味をなさないような、作品としてのサイトを作ることだったりする。つまり、書いた絵をスキャニングして見せるだけみたいなのではぜんぜんダメで、本にすることを前提としたようなものでもなく、Webだからこそ出来るような表現になっていないとダメだということだ。それはやはりよくいわれるところのインタラクティビティだったり、アニメーションだったりするようなことなのだ。そしてこういうことは、このNEWSを書くようなスタンスではどうしても作れない。もっと潜行しないとダメだ。とりあえず4月いっぱいぐらいまでは様子を見るつもりだけど、どうしても上手く行かないようならこのコーナーは本来のお知らせニュースコーナーにしようと思いました。そうなってしまった場合は許してね(続けたいのはやまやまなんですよ。ホントの話)。

0303242.jpg「眠くて泣いてるオヤジの図」

0303243.jpg「変身に失敗した男」

ボヤーン、です。
瞼がゆっく?りおりてきます。
言葉がはじから逃げいていってムニュムニュしたものの陰に隠れていってしまいます。捕まえようと思ってもスルッとどっかに行っちゃうよ?。たちけて。眠くても絵は描けるみたいだな。どうやら。

「どうやら」って眠気を誘う言葉だな。この滑るようなメロディ。ああ、頭の中で「どうやら」の繰り返しが起き始めた。今、50回ぐらい勝手に「どうやら」と言っている。と、書いている間もまだ言ってる。大聖堂の鐘のようにゴウンゴウンと響いてる。でも「どうやら」が響き渡ったまま布団にはいると悪い夢を見そうだ。もう一枚ぐらい描いてから寝よっと。

030324.jpg10年ぶりぐらいでスピード違反で捕まっちゃいました。
朝っぱらからねずみ取りなんてやるなよ!しかも40キロ制限って何よ!28キロオーバーですと?!1万5千円って、月末までって、それはあんた、ワタクシの一ヶ月分のアルコール代じゃないの!

と、帰ってくるまではふてくされていたのですが、寝て起きたらサッパリしてしてしまいました。俺も大人になったのね。しかし机の前で調書を書いていた婦警さんの口紅は怪しかったなぁ。シルエット作りすぎ、てかあまりにも元とかけ離れていて、作ってる意味無いし、色も強すぎて舞妓さんみたいになってるし、そのあまりの下手さ加減が可愛く思えたりもしたのだけど、まあそれはいいとして、なんでああいう時ってどうでもいいようなディテールが鮮明に目に入って来るんだろう。座面の破れた折りたたみ椅子からちょっと覗いたスポンジとか、安全靴からちょっと覗いた靴下の端のほつれとか。そういうときの独特な意識の集中し具合というか、ハイな感じというのは嫌いじゃなかったりします。たぶん微妙に脳の中のドーパミンだかなんだかが、過剰に放出されているんでしょう。

前に桜を見に行ったときに(ちょっと酔っていたのですが)、ふと目に入った一輪の桜がそこで今咲いていることが異常にリアルに感じられて、まわり中にそのリアルが同じリアリティで存在していることに圧倒されてしまい、メチャクチャ興奮した覚えがあります。なんなんだ、このパワーは!って感じで。ディテールの集合として全体がある。全体としてのディテールに意識が行き渡る感じ。上手く説明できませんが、とにかく夥しいリアリティなんです。そういうときは、俺は今まで何を見て生きていたんだろうという気になります。ひょっとするとそれはただの過剰すぎる意識なのかも知れませんが、作品を作っているときに求めているものとすごく近いし、大事にしたいなぁといつも思うのです。

0303204.jpg早起きしてるわけじゃないんです。
これから寝るのです。今は昼間の12時です。そして今書かないと書いてる時間がないのです。やれやれなんですよ。

昨今やれやれなこと多いですねー、奥さん。
ホントにね?まったく。困ったものですわ。
いけすかないったらありゃしない。
さあ、あなたもご一緒に!

やーれ、やれ

.........ごめんなさい(>_<)

俺、疲れてんのか?
ちょっとね。
ちょっとだけさ。
ちょっとだっけどっこさ
くまもとさ
くまもとどこさ
てんばさ
てんばやまにはたぬきがおってさ
それをりょうしがてっぽでうってさ
にてさ
やいてさ
くってさ
それーをほのおでちょいとあーぶーり

んー
最後の一行にこれっぽっちも自信が持てない。
でもたしかこうやって歌ってたんだ。
それに「てんば」じゃなくて「たんば」かもしれん。
にしても意味がわからん。

0303203.jpg100円ショップで青いガラスのコップを買って、それでビールを飲むと泡が細かく立っておいしいんです。たぶんコップの底が細く絞られているせいでそうなるんだと思うのですが、これで飲むとどんなに安い発泡酒でも、ちょっとした生ビール気分が味わえる。で、青いコップの絵を描こうとしていたのですが、描けませんでした。歌でも歌うかな。散歩でもしながら。

一年ぐらい前の夏に、夜中の2時頃に散歩にでたら、土手で5、6人のチリ人が歌を歌いながら遊んでいました。何の歌だったか忘れましたが、知っている歌だったのでメチャクチャ言葉で一緒に歌ったら大喜びされました。

030320.jpgなんか戦争っぽい絵になってしまいました。そんな気はこれっぽっちも無かったんだけど。やれやれです。

ウチにはいろんな動物が入ってきます。
人間、ネコ、ネズミ(石鹸を食べます)、たまに犬。これは大きい動物。ムカデ、ゲジゲジ、ヤスデ、ダンゴムシ、ジグモ(足を広げると6センチぐらいある)。これは足がたくさんある動物。ゴキブリ、カメムシ、アリ(赤アリは要注意!)、テントウムシ、コクワガタ、ノコギリクワガタ、カブトムシ、マイマイカブリ、アオオサムシ、カタビロオサムシ、センチコガネ、いろんなゴミムシや名前も知らないガ、蠅、蚊、スズメバチ、ネコノミや見えないぐらい小さい虫。庭や裏の林まで入れると、さらにこの何十倍にもなります。カラス、ミミズク、オナガ、ウグイス、山鳩、タヌキ、コカブトやミヤマカミキリ、ギンヤンマにヤブヤンマ、最近は見ないけどオオミズアオという大きくてとても綺麗なガも窓ガラスに張り付いていたりしました。

こうやって書くとまるで山奥みたいですが、東京から川を渡ってすぐのところです。でもこの家の造りがもう少しマシだったら、こんなにたくさんの動物が家の中に侵入することはないでしょうけどね。それでもまあ、ビクビクしたり楽しんだりしながらやってます。基本的に動物は好きですから。犬とかも苦手だったりするけど嫌いなわけじゃない。ゲジゲジも苦手だけど嫌いなわけじゃない。ムカデに刺されたら痛くて恐いけど嫌いなわけじゃない。といっても侵入してきたムカデやゲジゲジやアリンコは容赦なく殺しますけどね。恨みで殺すわけではありませんが(さすがにネコやネズミは殺しません。速やかにさっさと出ていって貰います)。スズメバチとかのこっちが勝ち目がないような奴は、そっと虫取り網で捕まえてお帰り願うか、じゃなかったら自分が逃げます。

生き物はみんな自分の場所が大事です。自分の場所を求めてさすらい続けるようなことだって、ある意味それが自分の場所です。だから自分の場所は必ずしも固定的ではないけど、固定的で無いなりの場所というのもやっぱりある。そしてそれがどんな場所であれ、テリトリーが侵されれば自分を守るために戦いが起きる。僕はそんな戦いは起きて当然だと思うし、起きない方が不気味だと思っています。問題なのはテリトリーの定義です。テリトリーの定義は生物レベルに近いほどシンプルです。そして基本的にはそれで困らないように体は出来ている。僕は人間の過剰さを否定したくない。何故ならそれは自分を否定することになるからです。でも僕にとってその過剰さは手の届くところで充分すぎるぐらいに発揮できるし、逆に言うと、そうでない過剰さは、手の届くところで発揮できないが故の歪みのようにしか見えません。つまりカッコ悪いということです。自分がホントには主人公でない戦いなんてサイテーです。

030319.jpg柄にもなく戦争の話を書こうか書くまいか悩んでしまった。前にも書いたけど、とにかく困るので口にするのはかなりはばかられる。正直に書けることといえば、せいぜい「戦争が始まりそうだという報道をしているテレビを見る自分について」ということぐらいで、これは「珍しくテンションの高いタモリを映しだしているテレビ」を見ることや、「ウミガメの産卵を映しだしているテレビ」を見ることと本質的な違いはない。乱暴な言い方をすれば、ウミガメの産卵もテンションの高いタモリも戦争と同じように他人事ではないのだ。逆の言い方をすれば、自分にとっての事実はテレビを見ているということだけであって、それ以外のことは何一つしていやしないのである。そんな人間が今起きようとしている戦争について、歴史や状勢の解説や分析をしてみたところで(そんなことが出来るほどの知識も論理的組立の出来る能力もありはしないのだけど)、せいぜい上手に説明が出来た自分にホレボレするぐらいが関の山だ。

正しさとか悪さとか正義とか邪道とかそういうのはどうでもいい。それらはこの世で最も胡散臭いものだ。そしてどんな形を取るにしろ、起きなければいけないものというのがある。止めても終わりにならないし、終わりにならない以上いつかは何らかのカタチで外にでなければならない。それは避けられない。でも外に出すための選択肢はいくらでもある。

しかし、キレたがっている人を変えるのはとても難しい。キレたがっている人に共通するのは、キレた自分こそが「ほんとの自分」だという意識だ。そんな人はいつもキレるチャンスを狙いながら生きている。そしてそんな人に限って、普段はとてもよく決まりを守って生きていたりするのだ。「ほんとの俺はこんなものじゃないぜ」てな顔をしながら。こんな人には何をいっても通じない。目の前に二人のキレたがっているイイ年のオヤジがいて、そいつらのとばっちりでたくさんの命や自分の命が脅かされようとしていて、しかもどこにも逃げ場が無くて、なにもしていないのに知らない内にそのオヤジの内側に取り込まれてしまうかもしれないって、いったいどういうことでっか!?

てなことを考えながらテレビを消し、いつものように絵を描き、いつものように風呂に入り、いつものようにこれを書きました。今この部屋を暖めている灯油はイラク産でしょうか?これを書いているコンピュータはアメリカ製でしょうか?僕は自分が日本人かどうかなんてどうでもいいです。

butterfly3.jpg心が亡くなったと書いて忙しいといいます(金八先生風に)。心が生きると書いてエロといいます。エロは良いけど忙しいのは良くないのです。亡くなるように忙しくしてはダメなのです。ましてや忙しい自分に酔ってしまうなどもってのほかであります。埋没せずに、お亡くなりにならないように忙しい時間をすり抜けねばなりません。どんなに急いだところで出来ることなんてたかがしれてるんだから。

と、ちょっと忙しいので自分に言い聞かせるようにこんなことを書いてるサクバですこんばんは。あと20分以内にこれを書かねばなりません。考えてる暇など亡いのです。ああ、これが良くない。この「考えてる暇など亡い」というのが曲者です。考えないで書き始めたくせに、「考えてる暇など亡い」などと書いてしまうから考え始めてしまって、何もできなくなってしまうのです。書いた途端に手が止まってしまいました。平常心を身につけねばなりません。武士にならねばなりません。蝶々だって目を覚まし始めたこの宵に、春の月を想い、その光と闇を心に染み渡らせるのです。行こう!虫共よ!行こう!生ぬるい風よ!行こう!芽を吹きださんとする木々達よ!ゆっくりとした激烈な時間を想い、その体を添い寝させるのだ!

なにいってんだかわかんなくなってきましたが、イイ感じがしてきました。ご静聴ありがとうございます。
では、また明日。

0303152.jpg絵とは関係ありませんが、きのう梅を見に行きました。
80円の缶ビールを持ってほんの45分ほど。
梅には曇りの日が似合います。と勝手に決めてます。
きのうはいい具合の曇り空でした。
そして梅の花は白いのが好きです。
ガクがオレンジがかったヤツ。
といっても梅の花と桃の花の区別も付きませんので、赤い梅だと思っているのは桃の花かもしれません。でも、梅の花と桜の花がバラ科の友達だってことは知ってます。ということは桃の花も友達でしょうか?知らないのでわかりません。

それから見に行った公園には池があって鴨がたくさん居たので鴨の種類を数えました。5種類です。一つ勉強になりました。僕が行く公園には5種類の鴨が居る。そんなことを知ってるのは悪くないことかもしれません。名前は知りませんが。でも、もしも外人かなんかに「アーナタァノ散歩スル公園ニハ鴨ガ何種類イマスカァ?」とか聞かれたらすぐに「5種類です!」と胸を張って答えることが出来るでしょう。ああ、きっととても誇らしい気分になることでしょうね、梅の咲いている公園で外人に鴨の種類を答えることが出来れば。でも残念なことに、僕はそんな外人に会ったことはありません。しかしそれを知ったのがきのうだったことを思えば、僕は断然ラッキーだったといわざるを得ません。せっかくのチャンスを逃さずに済んだ訳ですから。

そんなわけで脱力NEWSも300回を迎えたのでありました。メデタシ、メデタシ。

030315.jpg昨日ペインターでたくさん描いたら肩が痛くなってしまいました。慣れないソフトのやりすぎには気をつけませう。
キーボードやマウス変えると、ほんとに調子悪くなるものね。ソフトも一緒なんだ。あたりまえか。

どうも夢中になるとやりすぎてしまうんです。なんでも。これはもう直りそうもないですね。ガキの頃からですから。前にも書いたかもしれないけど、プラモデルとかを買ってきてすぐに作らないで箱も開けずに放っておける人の気が知れませんでした。誰であれ、人っていうのは好きなことがあったらそれ以外のことは考えられなくなるものだと本気で思いこんでいましたから。なんでそんなに普通でいられるの?なんで俺の言うことに耳を傾けてくれないの?と、かなり悩みましたよ。小学校、中学校の頃は。高校生ぐらいになるとさすがに諦めもついてきて、そんなに他人には求めなくなりましたが、それでもこの違いにはいまだに戸惑いがあります。人ってみんな違うのね(←しみじみ)。

030313.jpg0303132.jpg0303133.jpg0303135.jpg0303136.jpgおもろい!水彩気に入った!鉛筆も良い!
慣れるのはしばらく時間が掛かりそうだけど、NEWSの絵はしばらくこれで描いてみようと思いました。

しかし今まではフォトショップでやっていて、ストロークとかタッチとかは(無理というのもあって)ほとんど意識していなかったんだけど、ペインターの場合はすごく気になる。元々デッサン以外ではそういうのを殺すような描き方だったので別に問題なかったのですが、これで描いているとデッサンと作品作りを同時にやっているような気になります。イメージ的に想像するに書道とかに近い感じです。

自分の中ではどっちもあるので、とりあえず両方とも使えるようになっておこうという気になりました。一個で済めばそれに越したことないんですけどね。

それと前に書いたプレゼント企画を、このNEWSで描いた絵でやってみようかと思ってます。遊び絵ですが、タダだったら貰ってくれる人も居そうだなってことで。

030312.jpg0303122.jpgものすごい久しぶりにペインターをいじってみた。ペインターではまともな絵なんて描いたことない(つまり数えるほどしか触ったことがない)のだけど、あまりの軽さに感動しました。落書きはフォトショップでやるもんじゃないと心をあらためました。

とにかく気持ちがいい。速く描いても描画がついてくる。筆圧の反映が体感的な記憶に近い。このNEWSの絵を描くにはピッタリです。なんかペインターというソフトにはどうも偏見があって、どういうことかというと、アナログでやることを上手にシミュレーションすることを最大の目的としているだけのソフトだと決めつけていたのです。馬鹿ですね。そんなの使う人次第なのに。油絵で描いたように見せたいのなら、デジタルなんか使わずに実際に油絵で描けばいいじゃん、くだらない、とそんな風にしか思っていなかったのです。こういうのは下手に経験している分、道具の可能性を見損じる良い例です。

とにかく目からウロコです。
もっと遊んでみよう。
でもフラッシュとかの素材にすることを考えるとやっぱりフォトショップになっちゃうんですけどね。それでもこの気持ちよさは探求の余地アリアリです。
フォトショップ遅すぎるんだよな。
俺のマシンが遅いだけなのかなぁ。

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