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財布の中に300円しかなかったので電車に乗ることにした。
理由なんてよく分からない。それが300円の正しい使い道のように思えた、それだけだ。バスに乗るカネはなかったので駅まで歩いていった。今日はクリスマスイブだ。俺には関係ない。クリスマスツリーの電気がチカチカしているのを見るのは好きだったけど、そんなのは大昔の話しだ。俺は電車に乗るのだ。今はもう日が暮れた。浮かれたカップルがダサイおめかしをして歩いている。哀れなトガリネズミ。駅には300円の切符は売っていなかったので290円の切符を買った。駅ビルからバニラエッセンスの匂いがしている。吐き気がするぜ。俺のポケットには10玉が入っていてその10円がガキの頃に拾った泥だらけの10円玉のような気がした。暖かい。俺はそんな10円玉が好きだ。

電車の中はいつもよりも香水臭かった。クリスマスにはいらない匂いが世界中で溢れるものなんだ。匂いにイカレた笑いが混じり合っている。幻聴か?違う。実際に混じっているんだ。お前らには聞こえないかもしれないけど、ほんとに混じっているんだよ。1000年ぐらいすれば俺の正しさが証明される。俺が生きている内には無理だろうが、それぐらいは我慢してやってもいい。

四谷で降りた。そこまでしか行けなかったからだ。俺は別に四谷に来たかったわけじゃないし、特別な思い入れもない。つまらない街だ。10円玉が少し冷えていた。だけどここは俺の家じゃない。それが重要だ。俺は俺が安心していられるところに居ちゃいけなかったんだ。俺が安心できるところは俺の場所じゃない。ポケットの中の10円玉をいじりながら俺は歩いた。寒かった。もう少しまともな上着を着てくりゃ良かった、と思ったが、どうでもよかった。冬なんだし、寒くて当たり前だ。それにこの払い下げのコートはこんな日には相応しいような気がした。気が付くと新宿だった。騒々しい街だ。黄色いロータスのエリーゼが鍵が付いたままで路上駐車されていた。俺のために。優しい人がいるもんだ。アリガトウ。ご恩は無駄にはしません。タイトな運転席が気持ちを高ぶらせてくれた。車を運転するなんて随分久しぶりだ。エンジンは物凄くレスポンスが良く、ステアリングもダイレクトで素晴らしい。俺は速攻でトンズラを決めた。すると西口のガード下をくぐるときに悲鳴が聞こえた。そして信号で止まった俺の車に下着姿の汚い猫が飛び乗った。
「早く出して!」と猫は言った。
「赤だぜ」
「いいから早く!」
わかったよ猫ちゃん。

猫が下着を着るにはどんないきさつがあるのか俺には想像がつかない。でもコイツは猫で、汚れてはいるけれど洗えばそこそこイイ毛並みをしているだろう。毛並みのいい猫は下着なんかつけるべきじゃないと思ったが、猫にはそれなりにいろいろな事情というものがあることぐらい俺だって知っている。

「俺はどこにいきゃぁいいんだ?」
「ここじゃないところ」
「ここじゃないところっていってもな」
俺はとりあえず走ることにした。俺には走るための理由があったし。どこを走るかも決まっていた。知っている道を走らないということだ。猫は助手席で丸くなった。こんな狭い空間でよく丸くなれるもんだ。丸くなりながら猫は震えていた。俺はヒーターをつけて最強にした。
「大丈夫か?」
「.........大丈夫じゃない、死んじゃうよ。
あんた金持ちなんでしょ?服買ってよ」
おいおい、猫のくせに服まで着るのかよ。
「俺が金持ち?まさか。10円しか持ってねぇよ」
「嘘、10円しか持ってない人がなんでこんな車に乗ってるのよ」
イライラした声で猫は言った。
「怒るなよ。俺は金なんて持ってない。これはさっきサンタに貰ったんだ」
「馬鹿馬鹿しい!」
「嘘じゃないって、俺には見えたんだ。サンタがね。サンタがどんな形をしているか知ってる?赤い服も着てないし、デブじゃないし、ヒゲも生えていない。それはまるで俺みたいなんだ。汚いカッコで、ひもじそうで、今にも消えちゃいそうなんだ。そんでそいつが言ったんだ。この黄色い車は最新式のトナカイなんだけど、お一ついかが?って。だから有り難く貰っておくことにしたの」
「ぶあーか!何様のつもり?」
口の悪い猫だ。

俺は仕方ないので車の中を漁ることにした。そして信じがたいことにダッシュボードの中からクレジットカードを発見したのだ。出来過ぎじゃん。でも最新式のトナカイにはそれぐらいのオマケが付いているものなのかもしれない。サービス満点だ。俺はキャッシュディスペンサーを探し車を止めた。借入限度額は290,000 円だった。幸いまだ利用停止にはなっていなかった。
「金持ちになったよ」と俺は言った。
「素敵!」と猫は言った。
「で?服を買うのね?」
「毛皮が欲しい」
「自前があるじゃん。それにこの程度じゃ毛皮は買えないよ」
「偽物でもいい」
「そ、じゃ、俺もなんか買お」

俺達はどうやら埼玉県にいるらしかった。
服屋ってのはどこにあるんだ?
少し走るとショボイ商店街があった。
そしてなんとも時代遅れな服屋を発見した。
ターゲットは地元のおばちゃんと土建屋のオヤジだとしか思えないような服屋だ。
「ここにしましょ」
と猫がいった。
「ここでいいの?」
「あたし達の着る服はここにあるの」
コイツ急に喋り方が変わった。だから猫はわからない。それにあたし達ってなんだよ。俺らは同士なのか?
俺と下着姿の猫は店に入った。やる気ゼロの店だ。そして猫は赤いフェイクファーのコートを選んだ。それにカシミヤ風のどでかいピンクのバラの模様が付いている白いワンピース。あと、こっちはちゃんとしたウールのあったかそうな黄色のタイツ。そういえば猫は靴を履いていた。最近の猫は靴も履くのかい。これがまたワンストラップの私立の女子小学生が履くような黒いローヒール。しかし全てフィッティングされると、これもアリか、と思わせるようなコーディネートが出来上がっていた。呆れた俺は負けず嫌いの性格がムズムズとしてきた。襟のどでかい斜め縞のサテンのシャツ。赤いスラックスに白のエナメルのベルト。竜の刺繍がしてあるタマムシのベスト。女物の燕脂の薄ーいダウンのカーディガンにスーパーロングの眩しいぐらいの黄色のコート。しめて消費税込み19万8千と飛んで15円也、チーン。店のオヤジが幸せそうな笑顔を浮かべて「お似合いですよ」と言った。

「で、アタシ達はこれからどうするのかな?猫ちゃん」
「あたし達はこれから高速道路に乗るの。でもその前に買い出しよ」
近くに酒の激安ショップがあった。
俺達は店に入るとそれぞれ好き勝手に食い物や飲み物を買った。
猫はフクロウの絵が描いてある赤ワインとカマンベールーチーズとタンスモークとジェリービ?ンズと金平糖とタマゴボーロとミルクを買った。俺はスモークサーモンとクラッカーとレバーペーストとバランタインの20年とパンペロのラムとキッスチョコレートのビターを買った。メチャクチャだ。

俺達は東北道に乗った。グチャグチャ食べたり飲んだりしながら。猫は食ってるときだけは猫らしくピチャピチャカリカリとよく音を立てて食べた。なんだ、やれば出来るじゃないか。するといきなり猫がキスをしてきた、と思ったらそうじゃなかった。食っていたタマゴボーロを口移ししてきたのだ。俺は思わず吐き出してしまった。
「何すんだよ!オマエ!」
猫はビックリしていた。きょとんとした顔をして、それから涙を流し始めた。
「なんなんだよ、まったく!今度は泣きかよ」
猫はいつまでたっても泣きやまなかった。あ?あ。
「わかった、わかった、わかったから」
俺がそういうと、猫は泣きながらタマゴボーロを三つ口に入れると、噛み砕いてから俺の口の中に入れてきた。猫にそんな習性があるなんて聞いたこともない。だいたい猫は母乳で育つんだろ。口移しで餌をあげるのは鳥とかだろ。そう思ったけどなんか妙な気分になった。ちょっと気に入ってしまったのかもしれない。

「雪が見たい」と猫が言った。
「今日はどこ行ったって雪なんて降ってないと思うぜ」
「でも見たい。だってクリスマスだし、映画だとクリスマスには雪が降ってるし、クリスマスに雪が降った事なんてないし、一回雪が降ってみたい」
おまえなぁ、もうちょっと日本語勉強しろよ。それにオマエは猫のくせに映画も見るんかい。まあ、いいけどさ。
「積もってるところだったらあるな」
「それでもいい」
俺は高速を降りるとカーショップを探しタイヤ交換をすることにした。ここからなら奥羽山脈も近いし、雪の積もっているところなんていくらでもある。ショップの店員が俺達のカッコを見て「羨ましい」という字を顔に書いた。そういうのはすぐにわかる。晴れ着なんてものはどこでも調達できるものなのだ。タイヤ交換が終わる間、俺は自販機で煙草を買って一服した。猫はウンコ座りをして作業の様子をじっと見ていた。金を払うともう2万円しか残っていなかった。充分だろ。

「いくかね?」
「いくべよ」
エリーゼにはカーステが付いていた。しかし聞きたいCDは一つもなかった。B'z 、サザン、ザード、なんとかなんねぇのかよ、オイ。でもその中に昔の映画のサントラ集があった。これはいったいどんな用途に使われるんだ?まあいいや。いきなり「太陽がいっぱい」が始まった。そして街を出るときに検問が待っていた。酒気帯びだ。ヤバイな。
「いっちゃえ!いっちゃえ!」と猫が言った。
カーステの曲は「太陽がいっぱい」を終えて「鉄道員」のもの悲しい調べを流し始めていたが、仕方あるまい。
「いかせてもらいまーす!」
つっきった。
白バイはいなかった。サイレンが鳴った。
「来たよ???!」
「おーー!」
田舎道だ。たぶん広域農道だろう。峠に入るまで持たせられればなんとかなる。10キロぐらいサイレンの音とパピヨンのテーマがハモっていた。そして果たして峠の入口の看板が出た。
「チャーーンス!!!」
俺はステアリング右に切った。信号なんて見てなかったけど曲がりざまに軽トラに突っ込みそうになった。ゴメンよ!おじちゃん!オイラ急いでるんだ!パトカーとゴッツンコしてくれるかと思ったけど、サイレンはまだ付いてきた。だけど道は山道に入って路面凍結注意の標識がマジになってきた。サイレンの音が遠ざかっていく。雪だ。林の間に雪が残っている。
「雪だぜ!」俺が叫んだ。
「雪!ゆきゆきゆきゆきゆきゆきーーーーー!」
猫が俺の首に腕を回してキスをした。今度はキスだった。

すっかり雪景色になったところに別荘地があった。
俺は別荘地に車を乗り入れて物件を物色した。
誰もいやしない。ショボイ別荘地だ。
暖炉付きの別荘があった。俺は車のトランクの車載工具から28ミリのボックスレンチを取り出してドアの窓を割り鍵を開けた。電気も水道も止められていた。かまやしない。リビングに行くと薪と新聞紙と鉈があった。それに燭台もあった。ご丁寧なこった。蝋燭に火を点け、たきつけように細い薪を作り、クシャクシャにした新聞紙の上に丁寧に並べ、太い薪を4本組んだ。薪は多少しけっていたが、火はすぐについた。火の気持ちになれば、火はつく。冷え切ったリビングにかすかにぬるい空気が流れた。
「あんた凄い!」と猫が言った。
「まあね。酒を持ってこよう」

猫は暖炉の前で丸くなった。コタツがあればよかったのにな。中流さんにはコタツはイメージじゃなかったんだろう。リビングにはピアノがあった。ピアノを触るのなんて中学生以来だ。音は調律が狂いまくっていてひどいもんだったけど、俺は「猫踏んじゃった」を弾いた。そして弾いてから猫に申し訳ないような気になった。
「この曲嫌い?」
「別に」猫は眠そうに答えた。
「あ、そう」そんなもんか。
俺は猫の頭を抱くと膝に乗せ、柔らかい毛を撫でながらラムを飲んだ。

どれぐらいそうしていたんだろう。
気が付くと暖炉の火が消えそうになっていて、キンキンに冷えた空気が戻ってきつつあった。
猫は寝ていたようだったけど、パッチリと目を開けた。
「散歩に行こう」目をパチパチさせながら猫が言った。
「どこへ?」
「そのへん」

外には月が出ていて、世界は青白かった。
しかし俺達のカッコは雪の中を散歩するようなカッコじゃなかった。それなのに猫はお構いなしに雪の上を歩いていった。何故かあいつは足があまり沈まないのだ。猫だからか。そうだ、猫だからだ。それに比べて俺はみっともなかった。ズブズブとしか歩けない。おまけに靴もズボンもビショビショになって、冷え切って痛くなってきた。30分ぐらい歩いたんだろうか?まるで昼間のように明るい開けたところに出た。猫は100メートルぐらい先で俺を待っていた。猫はまるで、始めからそこにいる動物のように見えた。

やっとの思いで俺が追いつくと猫は言った。
「あたしここで今死ぬ。あなたも死ぬ?」
息が切れていた。5分ぐらい息がおさまるのを待った。
足の感覚はなくなっていたけど、体は熱かった。
「死なない」と俺は言った。
「どうして?あたし今なら死んでもいい。今より幸せなことなんてない」
「あるさ」
俺は雪を掴むと、それを丸めて猫にぶつけた。
「なにすんだよぉ!」猫はそういって俺に雪を投げ返した。
それから俺達は雪合戦をした。
猫は楽しんでいたかもしれないけど、俺は死にそうだった。
どうやら凍傷になり始めているみたいだ。

空が明るくなってきた。
それから長い長い、ほんとに長い時間が経って太陽が顔を見せた。
雪がキラキラと光って七色に見えた。光は、雪の白を埋め尽くし世界に溢れた。

「...虹だ。見える?」

「......うん、見えるよ」

ポケットの中の10円玉が暖かさを取り戻していた。

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