他人が集積した技術の結果である”ブランド”というものに依存しなければどれだけの自由が得られることだろう。
結局のところ、信頼とか信用というものは、「内容を吟味しないで任せる」ということだ。なぜそんなことが蔓延るかといえば、吟味することは面倒だからなのだ。吟味できるためには、成り立ちを知る必要があるし、成り立ちを知るためには、実践する必要があるし、実践するためには、失敗をする必要がある。しかもその失敗が果てしなかったりもするのがざらなのだ。その上結果に辿り着けないことの方が多かったりするのだ。
それが嫌だから、多くの人は信用とか信頼という名の約束に走るのだ。そしてその約束をさらに分かり易くする為にブランドという名詞が与えられる。
しかしブランドに依存しない自由を思えば、果てしない失敗が何ほどのものだろう。そこには裏切りも期待も犠牲も無いのだ。それ以上に素晴らしいことがどこにあるのか。