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期せずして漂流の主人公となれたことに感謝しよう。
今年は旅をする必要がなさそうだ。
これまでもずっと旅の中にいたことを思い出させてもらったから。

理解できないことは書くべきではないと思っているが、これだけはどうにも見過ごせないので書いておく。福島は非常事態であると同時に異常事態となっている。前者はすでに不可避的に進行しており、とにかく冷却するしか手が無く、格納容器内の水素爆発が起きないことを祈るしかない状況であるが、後者はあまりにも愚かな人為性によって進行している。戦争を経験したことは無いが、戦争時における国家の振る舞いはこうであったのかと憤りが隠せない。そしてそれを取り巻く犯罪的なまでの無知と鈍さと醜い滑稽さが、この一刻を争う事態を悪化させ続けている。線量の高い地域に住む福島の母子は全員疎開させるべきだ。国の言うことなんか信じてはダメだ。子供にとっての年間20msvというのはそういう値だ。しかもその値はもっとも危険であった時期を計算に入れておらず、さらにはこれまでの内部被爆をも無視している(お粗末な釈明はあったが、もっとも大きいと思われる食料からの内部被爆を計算に入れないってどういうこと?)。どこをどう判断すればそんな基準が導き出されるのか正気を疑う。国がだめならせめて自治体レベルで動くことは出来ないのか(神奈川は受け入れを表明したようだが東京や大阪は動かないのか?)、それさえもダメなら個人でもと思うのに、その個人をも攻撃してしまうような学校や共同体が形成されているとは、やるせなさ過ぎる。校庭に体育座りとか、ペットボトルを持たせないとか、どうかしてるとしか思えない。小佐古敏荘氏の辞任会見を見た福島県の校長が政府の言っている事を信じてきたので動揺を隠せないとか、アホかと思う。今守らなくてはいけないものは、ルールではない、国家の指示ではない、共同体の和ではない、目の前の命だ。そのために共同体も国家もルールも従わなくてはならない。

今日なんて18時間も寝てしまった。こんなに寝たのはホント久しぶりだ。普段たくさん寝ようとしたってこんなに寝てられないもんなぁ。いっぱい寝て起きると皮が一枚剥けたような感じになる。憑き物が落ちたみたいな。長い旅行から帰ってきたときとかもそうだけど、こういう感覚ってかなり好き。たぶん生きていくうえで必要なことなんだよね。それは日常を考えると強引なことかもしれないけど、もっと大きな目で見れば絶対に必要な当たり前のことになる。定期的に大河が氾濫することで保たれる生態系みたいなもので。そういうのって現代では何かと排除されがちだけど、そういう日常にとって強引であったり暴力であったりするようなことを隠すのではなくて、上手く付き合うようなやり方こそが大事だと思えてならない。

041231.jpgトップを年末年始仕様にした。
20歳ぐらいのときに描いた絵の使い回しです。でも気分はこんな感じ。

今年は自分の作品作りにはほとんど時間が割けなかったけど、まあ、いろいろやった。一番大きかったのがガラージュが販売に漕ぎ着けたこと。自分的にもやっと区切りがつけられた。一年の前半はほとんどこれに費やしたようなものだ。クソ忙しい中でよくこなしたものだと思う。予想以上にたくさんの人の手に渡ったわけだけど、楽しんでもらえているだろうか。ちょっと心配。

後半はこれまでには使っていなかったWindows環境に振り回された感じ。なんでこんなに振り回されるのか自分でも分からない。使えないというわけじゃないし、今までやってきたようなことだって普通に移行できたわけだけど、あれこれあれこれいじり倒してしまう。落ち着くまでにはまだ時間がかかりそうだ。それと平行して、遊びに行ったり、本を大量に読んだり、映画をたくさん見たりした。気がついたら他人の作ったものをほとんど観たりしていなかった。ネットを除いては。どっかで欠乏を感じていたのかもしれないな。そしてそんなことをしているうちに今年ももうおしまい。

あ、年賀状はこれから書くんで、元旦には届かないです。

では、今年一年、応援とか、お買い物とか、チェックとか、ホントありがとうございました!
来年もよろしく!

新しい思考の枠組みか、フィクションの檻か、明日の朝、足を一歩前へ出すための意欲か、タバコを吸うのを一時間忘れる台地か、連鎖する関係性がもたらすただのバケツリレーか、それともいつものはかないあいつか、あるいは未来という名の日常か。どれでも歓迎だ。

12/11(Sat) 4:43
覗きは子供の特権だ。子供は常に覗いている。科学が世界を覗くように。誰もが子供のままで生き続けたいと思い、それに近づくべく技術と経済がバックアップをする。子供が覗きたがるのはその先に行きたいからなのに。

地下鉄のホームとホームの間にある線路が敷かれている地面は油と鉄粉のしみこんだ微妙な諧調の灰色だ。興味の無い人にはただの黒に見えてしまうような。そんな灰色をじっと眺めていたら、自分がそのコンクリートだかの地面に吸い込まれそうになるような感じがした。吸い込まれそうになったわけではなく、されそうになる感じだ。この表現は距離を表している。つまり、「吸い込まれそうになる自分」を想像してみたという事だ。何でそんなことを想像してしまったのかは分からないが、そんなことを想像している自分というのは非社会的な感じがした。自慢じゃなくて。自慢じゃなくてってことは、たとえそれが他人からエキセントリックで魅力的に見えたとしても、事実のそっけなさがあまりにもそっけないのでなんの想像力も勘違いも生まれる余地が無かったということだ。そしてそんな風にホームとホームの間に灰色の地面が存在しているということを、たぶん今までだったら絵で定着しようとするようなことなのに文章を書いている自分というのに違和感がありすぎて混乱しているのである。

この一年ぐらい何かを巡ってグダグダやってるいるのに、その何かが捕まえられない。もどかしいよ。こんなことが今まで無かったのか、意識されていなかっただけなのか、どっちかもわからない。手の届くところにあるのに、というより、それに包まれているのに、じゃなくて、包まれているから、対象として相対化できない。こいつはいったい何なんだろう。長いトンネルを抜けるのはいつでも大変。

11/9(Tue) 9:15
タバコの灰の一片が桜の花びらみたいに飲んでいる酒の小さくて硬いコップにひらひらと舞い落ちる。それを目撃した俺に生じる一瞬の遅い時間。そのコップから飲む酒。それは、それが起きる前のものとは明らかに違う。飲むものが変わるわけじゃなく、飲む俺に変化が起きる。そんな変化が毎日積み重なる。積み重なる変化は夥しい。夥しいという言葉が好きだ。おびただしい。日常はなんて夥しいことだろう。

このところ割と(いつもか…)饒舌気味なサクバですが、これは明らかに本を読んだり映画を見たりしているせいです。つまりウンコの再生産をしているわけです。俺の書く文章はほったらかしだったり、端折ったり、なげやりだったりして、プロ的な意識はほとんどなくて、たまに本気の文章が必要になると、思い出したように他人の文章を読んだりするのです。でもそれは、いきなり勉強を始めるようなそういう感じでもなく、努力をしているという感じでもなく、なんかそうしたくなるからやっているだけだったりするのです。そうじゃない時はというと、まったくといっていいほど文章なんて読まないのです。小学生の低学年のころに、褒められたかったり、自慢したいがために本を読んでいたような時期があって、それ以来本を読むのはあまり好きではなくなったように思う。そしてそれは本だけじゃなく、映画や音楽や漫画や絵にさえも言えるような気がする。なんてことだ。不幸なやつ。

唯一そのような呪縛から自由だったもの。それはオモチャ、もしくは模型だ。

たった今、これを自分で書いていて、笑っちゃうけど、目から鱗が落ちた。そういえばさっきキキリに「今日は大吉です」と言われたところだった。何が分かったのかはっきりしないけど、分かってはいなくてもはっきりしたものがあった。書いてよかった。説明は、いつか出来るかも。

きのうかんとうちほうにおおきなじしんがありました。ぼくはびるでぃんぐの 15かいにいたのでとてもびっくりしました。したからどんときたからです。したからくるのはわるいじしんだときいていました。でもてれびをみたらもうすこしとおいところでおきたじしんだとわかったのであんしんしました。ぼくはくつをぬいでいたのに、きがつくとくつをはいていました。どあもあいていました。ぼくがあけたのでした。そのあとにてれびで、じしんでしんでしまったおんなのこのばんぐみをやっていました。なんだかみていられないきもちになったので、えいがのばんぐみにしました。そのえいがはなんのえいがかよくわからないえいがだったので、ねむくなりました。でもすこししかねむれませんでした。すこししかねていないのにあさがくるのはふしぎなきもちがしました。

机の上を少しだけ片づけ、買ったものの手をつけていなかった本を並べ、これまでに書き散らしたアイデアや落書きを眺め、塔について考え、集合住宅について考え、断片的で象徴的なテーマについて考え、モジュールの可能性について考え、意味のない四角をいくつか描き、酒を飲み、ポルノを眺め、ディーゼル機関の資料を整理し、小スケールの限界について考え、誰もいない野原に思いを巡らし、ウチの屋根に住み着いた捨て子をどうしようかという夢を見たら目が覚めた。色々やったような気もするし、なんにもしていないような気もする、そんな一日。

・久々のお休み
・おいしいお酒を飲んでる
・ドビュッシーがかかっている
・そとは曇り
・もんしろちょうがネズミモチに吸密に来ている
・二頭
・千葉ニュータウンには湿地帯のような荒れ地があった
・ヨシキリがギョギョッシ
・ツバメとヒバリも飛んでいた
・ヒメジョオンとレンゲみたいな花
・電車の一番前に座って窓に張り付く
・羨ましそうに見ている5歳児
・次はお前の番
・自動販売機の絵を描く
・地下では工事が進行中
・お返事をたくさんする
・ピアノが音を出す
・今は26度
・誰も何も訪ねてこない
・今日は曇り
・すっぽんぽん
・タオルケットにくるまる
・目薬の透明なきみどりいろの入れ物
・グラスが何度もゆっくりと空になる
・煙草に火を点ける
・部品がどこかに行ってしまったたくさんのオモチャ
・指にこびり付いたヤニ
・ふふふ
・濃い紫に光る見たこともないシジミチョウ
・裏は暗い茶色
・おなかを3回掻く
・いつまでも続くようないつだかわからないような
・おしっこ
・油が切れても回り続ける換気扇さえも
・曇りのおかげで回り続ける
・弛んだ筋肉が空気に溶けだして
・空のカラスに届く
・たくさんの点が
・点であることを忘れて
・しまいますように

後1週間か10日ぐらいすると忙しいのから解放されるかも。この4ヶ月ぐらい一日も休みが取れていなかったのでかなり嬉しい。相当嬉しい。めちゃんこ嬉しい。嬉しいなったら嬉しいな。

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