セクシャリティの表現が無防備さの偽装に特化していく現状は、共同体の解体が避けようも無く進行し続けている現状から見れば必然なのだろう。そしてそれを乗り越えるためにはさらなるテクノロジーの暴力が必要なのだろう。しかしそのテクノロジーの暴力が幻想としての無防備さを包囲するようしかに働かないとすれば、お先真っ暗だな。
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また手描きブログで。リンク先にあと何枚かあります。この絵は友達限定じゃないと公開しちゃいけないみたいなのでこっちでw
日本画チックな描き方はだいぶわかってきた。この絵はまだかなり適当ですが、線が良く描けてると快感がありますね、この描き方。あとなにより練習になる。でもいかにも過ぎて、どっかで見たような絵になっちゃうのは避けられないな。スタイルが確立されすぎでネタ勝負になっちゃうようなところがある。まあ、それでもいいんだろうけど。色やテクニックの部分ではまだ開拓の余地がいっぱいありそうだし。もうちょっと探検してみたいような気もするが、今のところは漫画だったらアリって感じ。
手描きブログで描いた。サイズが合わないのでリサイズついでにちょっとだけ手を入れてあります。
このところのしょぼしょぼツールをいじっていて思ったんだけど、すくなくとも日本はやっぱり線画の国だなぁと。線の明確さ、線の饒舌さ、線の洗練、そういうものが凄く深く根付いている。怪獣の絵を描いていても、線さえきっちり決まればすごく速く出来そうだっていう感じがしていたんだけど、それは間違ってないようです。
どれが正しいかではなく、今までの自分は線を最後に引くものとして捉えていたようなところがあって、もちろん最初のアタリやスケッチの段階では線を引くんだけど、最後には必ず引きなおされるものとして線が存在していた。曖昧さを維持しつつ完成の直前まで持っていくときにはこのやり方は自由が利いていい。でも素材の制限や時間の制限が強いとなかなかうまく行かない。しょぼしょぼツールはその辺のことを確認するのにとても都合よく働いてくれたみたい。別にどんな描き方をしたっていいんだけど、一発書きは絵の基本の一つだと思った。書道と一緒だな。


子供パワーの一定部分は締め付けによって生まれている。という論理は嫌いですが、ある程度はほんとでしょう。発禁本の裁判みたいな話ですね。エロティシズムは禁止の上に成り立っているとかさ。こういう話はどうしても視野が狭くなるのでそういう土俵にはあまり立ち入りたくないのだけど、あらゆる制約が無くなったところで制約は永遠に存在し続けるということでカタを付けておきたい、と、いつも思います。
人間は鳥ではないし、植物でもない。その上生物はみな死ぬのです。それだけで制約としては充分でしょう。つまりどれだけ制約を人間社会の中で外したところで、子供パワーもエロティシズムもロマンティシズムも無くならない、僕はそう思っています。
学生の頃に友達と話していて、その友達が最近聞いた話としていっていたのですが、ある人が「学生運動があった頃とか戦争中とかはリアルがあっていいよな」といったところ、そこに居合わせたもう一人の奴が「そんな状況じゃないとリアルを感じられないようじゃダメだと思うぜ」と返したそうです。僕はその話を聞いた時「俺がいつも考えていることはまさにそれだ!」と思いました。そしてその気持ちは今も変わっていません。
特殊を求めてはいけない。そんなものを求めたところで、得られるのせいぜいチャチなかぶりものです。やっぱすっぴんで行かないとね。
この絵、実はきのう書きだめしといた絵なのだ。最初からそのつもりだったのに、ちょっと心苦しい。せこい嘘つきみたいで。とかいいながら明日のためにまだ一枚とってある。どこまでせこいんだ俺は!最初の一枚はいいとして、二枚目がマッタリしすぎだしなぁ。今は別にエロい気分でもないし。やっぱ落書きなんてその日に見せておくべきだよな。
蔵出し終わり。
ちょっとスッキリした。
いや、時間がないからさ、毎日まんべんなく楽しい方がいいかと思ったんだけど、こういうやり方は性に合わないみたい。カッコ悪い気がするっつうか、ライブじゃないっつうか。なんか、ねえ。
ってことで3日後ぐらいにビール持って花見の予定。といっても、たこ焼きくって散歩するだけだけどね。だけだけどって、この言い方でいいんだっけ?だけが二回?なんで二回?ラップに使えそう。スミレもいっぱい咲いています。
俺はエロしか描けんのか(笑)。俺はエロにしか興味がないのか(爆笑)。俺がエロいのか(大爆笑)。こうやってエロいのばかり描いて(狂笑)それで平気なのか(嘲笑)。そんなにエロいのばっかり描いてると(微笑)ほんとのエロオヤジになっちゃうぞ(超爆笑)。それでもいいんかい(激笑)。オマエのプロジェクトなんざ(苦笑)エロゲーになるのがオチってことだ(超大爆笑)。大馬鹿者が!(あり得ないスーパーミラクル大爆笑。アメリカ製ホームドラマ風に)
すんません。やってみたくなったので。
関係ないけど、この一週間ぐらい恥とプライドのことをずっと考えてます。これって同じものの二つの顔だと思うのですが、その元のものはいったい何かがずっとわからないのです。別にわからなくても困らないのでほっときますが、知りたい願望がムクムクとしてます。でもほっときましょう。
で、恥とプライドですが、恥はかかなくてはなりません。プライドも持たなくてはなりません。かくべきだし持つべきなのです。でも恥とプライドにもいろいろあります。少年期や少女期に植え付けられたようなものはさっさと捨てとくのがよい。自分の恥じゃないし、自分のプライドじゃないから。でもこれが一筋縄じゃいかなかったりする。そして首尾良く捨てることが出来ても安心は出来ない。なぜかというと、自分の恥やプライドになった途端に恥をかいたりプライドを持つことに自覚的になれなくなるからです。プライドも恥も更新され続けるものだとぼくは思っているのですが、それが出来なくなる。それを更新するためにはさらに恥をかいてプライドを持つというスパイラルを続ける必要があると思うのです。
たくさんのスパイラルを経た強い恥や強いプライドは魅力的でよいものです。少なくともぼくにとっては。ピュアだしクールだしエロティックだし、ストレンジでアンビリーバボーでグレートです。
汗を掻くように恥をかき飯を食うようにプライドを持とう。
ほとんど徹夜なので眠気覚ましに絵を描きました。
まだ途中ですがこんなの半日では描けないのでとりあえずやめです。光の感じはけっこう気に入ってます。
ところでこの絵、かなりベタに描いてます。ほとんど技を使わずに淡々と。人体は少し前からそうなってきてるのですが、全てをこういう風に絵の具で描くように描いたのってかなり久しぶりな感じがしました。
なんか最近、なんでも手で描けばいいじゃん、って感じになってきているような気がする。ペインターでも試してみようかな。レイヤーとマスクをあまり使わないなら、あっちの方が軽くて良さそうだし。それになんといっても絵がグルグル回せるのが魅力だ。フォトショップも簡単に回せるようにしてくんないかな。だいたいキャンバスや紙で描いていた頃は回しまくっていたもん。そりゃもうDJ並みに。あ、でもこれは下手だってことか?まあ、いいや。
きのう描いていた絵です。今日はなにもいじっていません。これまでに描きかけで放置してしまった絵ってどれぐらいあるんだろう。「未完の作品」って聞こえはいいけれど最悪な感じがします(少なくとも自分のやることとしては。他人のは寛容に楽しめるのですが)。この絵はちゃんと最後までいくのでしょうか。デッサンがまだかなり適当なので怪しいですね。
ル:通信は明日発行します。今日あたりかな?と思っていた人、24時間ぐらいお持ち下さい。
最近、なんか自分が変化してきているような感じがします。一言でいうと「ほぐれてきている」って感じです。凝っていたんですね。心が。肩凝りじゃなくて心凝り、コリコリ。
なにを解体しているかっていえば、この腐れ頭の中にはびこっているしょうもないイメージです。たとえばこの腐れサイトに対して自分が持っているイメージ。自分が描く腐れ絵に対して持っているイメージ。自分が作ろうとしている腐れプロジェクトに対して持っているイメージ。自分が書く腐れテキストに対して持っているイメージ。ほんでもって一番くだらなくて一番やっかいな自分というイメージ。こんなものを引きずってたんじゃろくなもんは出来ません。
解体が終わったところで大して変わらなかったりするんだけど、それは問題じゃない。別に見た目を変えるために解体するわけじゃない。先に進むために解体が必要になる。淀んだ水は腐るだけ。こびりついたコケや流れてきた流木や枯れて腐った水草を取っ払って流れをよくしてやらなきゃ水は流れない。
四年だと思った。
そう思ったら急に軽くなった。このサイトとプロジェクトのひとまずの区切りをそこでつける。その後のことは分からない。たぶんそこでまたリセットが来る。キッチリ四年とかそういう話しじゃない。今自分にとってリアルに感じられる数字が4年だっただけだ。そう考えたらルが手の内にあるように感じられた。あとはこれからやることのビジョンを思いっきり広げてみて自分が今やりたがっていることをしっかりとつかむことだ。
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実はきょうは4枚絵を描いたのだけど、残りの3枚はポルノになってしまったので自主規制しました。きょうのテキストの中にリンクを貼っておいたので、見たい人は落として下さい。zip file/sit file両方あります。
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ガラージュ動作確認アンケート,マジでよろしく実施中!
Comments
永谷園の陰謀とそれを
これほどの永谷園を、