100人ぐらい相手でモノ売って食って行けたらいいなって思う。これが千人だと大量生産品としてはとっても楽だし、値段も買いやすく出来るけど、千人っていうのは個人が管理する数としてはどう考えたって多すぎる。同じものを千個作るっていうのは、どれだけ機械の力を借りても、それを在庫として持つことや流通させることを考えるとそれだけでウンザリしちゃう。どう考えたって普通じゃないでしょ。
どんなものでも売れりゃいいってもんじゃない。食い物屋だって、一日に100人相手にするのと千人相手にするのじゃ作り方から質からなにもかも変わってしまう。自分の場合は絵とかそういうモノを作っているわけだから、一つのモノが100人ぐらいでシェアされて、それで作りたいモノが作れるのだったら、それ以上はいらないとさえ思ってしまう。
これは別にこぢんまりやりたいという意味じゃない。それどころか自分としては、とても冒険的で未来的なフォーマットなんじゃないかと本気で思っていたりする。
百人じゃ買えない人も出てくるかも知れない。でもそういう人は待てばいい。それにそういうフォーマットが定着したときにはもっとたくさんの百人でやる人がいるはずだから、代わりはいなくても同じぐらい面白いモノが他にももっといっぱいあるということになるんじゃないだろうか。
自分の場合は作品作るのが遅いから一月に一枚で100人ぐらいって感じがするけど、早い人は10枚で100人だっていい。とにかく誰もが楽にやれるその人なりの数を持てばいい。
週刊漫画の連載のような異常さは作品の質や多様性を限定する。月刊漫画のかろうじての多様性は月刊であるからこそ実現されている。ターゲットや対象を絞ることは何もマニアックなモノを流通させる為だけの手法ではなくて、普通にイイものを作る人が増えるような効果が絶対あると思う。
質の高いイイモノを作る人は少ない。確かにそうかもしれない。でも少ないんじゃなくて作れないってことも一方ではあるような気がしてならない。だって5歳児なんてみんなイイ絵を描くよ。世界中の5歳児はだいたいイイ絵を描いている。生産と流通のシステムが変われば出てくる作品だって絶対変わる。
ガラージュは作品の成り立ちからして違うから、ここでいってることは当てはまらないけど、そのための一歩であることには変わりがない。