ツチヤという奴がいました。
小学生の時の話です。そいつとは中学までずっと一緒でしたが、自分の中ではとにかくカッコいい奴でした。
僕は小学生の三年生ぐらいのときに、「豹マン」というヒーローものの漫画が大好きでした。よくある改造人間のお話なのですが、その頃の僕にとってはリアルに想像できるヒーローとしてとても強い憧れを持っていたのです。哀れで孤独で可哀想でカッコいいんですよ。今読んだら大爆笑かもしれないけど、とにかくその頃の僕は豹マンになりたかった。でも憧れが強すぎて自分は相応しくないような気がしたんですね。自分はかけっこが遅かったし、背も小さすぎる(今はそれなりなりだけど、その頃は前から一番か二番だった。高校生まで)。そんでもって考えたわけです。真剣に。誰だったら豹マンになれるか。
真っ先に頭に浮かんだのはツチヤでした。あいつしかいない。細身で運動神経がよくて、背も高くて(といっても中ぐらいでしたが、自分からみると大人みたいに大きく感じる)、顔だってヒーローっぽい顔をしている。バック転だって出来るし、人気もある。ツチヤはその後いわゆる不良グループに入るような感じになっていきましたが、どこかシャイで、いつもその場にそぐわないような感じで、恥ずかしそうにしているのに、何かの時には大胆にもなれるという感じで行動していました。よくいるでしょ?そういう奴。
中学生の3年のとき、「ツチヤはマゾ」というウワサが流れました。何の根拠もないただのウワサです。中学生の流すウワサですから、新しく覚えたイヤらしい言葉を使ってみたくて、そのターゲットがたまたまツチヤに向いただけのことです。ツチヤの恥ずかしげな感じとか、格好良さに対するジェラシーとかが、マゾの使い道としてピッタリだったんでしょう。でもそのウワサはことあるごとに持ち出され、3ヶ月ぐらいは何かというと「ツチヤはマゾ」というのが流行り言葉のように繰り返されました。
僕は中学生の頃といえばエロティックな妄想に取り憑かれまくっていて、この「ツチヤはマゾ」というウワサにものすごく気持ちが揺さぶられました。はっきりいって羨ましくてしょうがなかった。実際には何もなかったんだと思いますが、僕の頭の中にはありもしないあれやこれやがパンパンになってしまいました。そしてそれを言われたときのツチヤのやり場のない表情。どこにも行き場がなくて取り残された孤独。僕はその立場に強い共感とジェラシーを覚えました。僕は豹マンではなくてツチヤになりたいと思ったのです。
そして僕は高校生になりました。
二年生の時だったと思うけど、電話が鳴ってツチヤが死んだことを知りました。
バイクに乗っていて警察に追いかけられ事故ってしまったのです。
なんてこった.........
僕はその後バイクの免許を取りました。
自分の乗るバイクを探していたとき、なんと、ツチヤの乗っていたバイクがあるというのです。青いタンクのSUZUKIのGT380。それは当時、親父が勤めていた自動車修理工場の片隅に事故ったまんま放置されていたのでした。
ツチヤは何になりたかったのでしょうか?
僕は今、何になりたいのでしょうか?
何かになんてなれるものなのでしょうか?
何かになるなんてことはくだらないことでしょうか?
何かになったらいいことがあるでしょうか?
何かになろうとするだけで意味のあることでしょうか?
誰もが何かになりたいものなのでしょうか?
何かとは何でしょうか?
ちょっとお休みしてそれを考えてみようと思っています。
29日に復活予定です。
表面的には何一つ変わらないだろうけど、そんなことだって大事です。
とりあえず、読んでくれている人にありがとう。
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と、ここまでをきのう書きました。
365回目ののニュースです。
よく書いたものです。
いや、終わったわけではないんだけど。
お休み中はプレゼント企画をやるんで、
ぜひ遠慮なく応募してください。
お待ちしてます。